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ショーペンハウアーの意志と表象としての世界の感性

## ショーペンハウアーの意志と表象としての世界の感性

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感性と認識の基盤

ショーペンハウアーにとって、世界はまずもって「表象」として現れます。そして、この表象を可能にするのが「感性」です。感性は、我々が世界を認識するための根本的な能力であり、客観的な世界と主観的な認識を結びつける橋渡し役を果たします。ショーペンハウアーは、カントの超越論的感性論を継承しつつも、独自の解釈を加えています。

カントにおいて感性は、時間と空間という二つの純粋直観形式によって構成されるとされます。ショーペンハウアーもこの点を踏襲し、時間と空間は我々の認識の形式であり、客観的な世界に属するものではないと主張します。しかし、ショーペンハウアーはカントの先へと進み、感性を単なる受動的な認識能力ではなく、より積極的な力として捉え直します。

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感性と因果律

ショーペンハウアーは、感性を因果律と密接に結びつけます。彼は、感性が外界からの刺激を受け取ることで、我々の内に表象が生じると説明します。そして、この刺激と表象の関係こそが、因果律として認識されると主張します。つまり、ショーペンハウアーにとって、因果律は理性によってアプリオリに認識されるものではなく、感性を通じて経験的に認識されるものなのです。

さらに、ショーペンハウアーは、因果律が全ての自然現象を支配する原理であると考えます。彼は、無機物から有機体、そして人間の行動に至るまで、あらゆる現象が因果律に従って生じていると主張します。ただし、ショーペンハウアーは、因果律によって世界の全てが説明されるとは考えていません。彼は、因果律は現象界における支配的な原理ではあるものの、現象の背後にある究極的な実在を説明するものではないことを明確にしています。

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