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ショーペンハウアーの意志と表象としての世界の秘密

## ショーペンハウアーの意志と表象としての世界の秘密

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世界は表象である

ショーペンハウアーは、カントの超越論的観念論を継承し、我々が認識する世界は、あくまでも我々の表象であると主張します。つまり、世界は、それ自体としては時間、空間、因果律といった認識の形式の枠組みを超えて存在する「物自体」と、我々の感性によって認識され、時間、空間、因果律の枠組みに従って秩序づけられた「現象」の二つから成り立ちます。そして、我々が認識できるのは、あくまでも後者の現象に過ぎず、「物自体」を直接的に知ることはできません。

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意志は物自体の内面である

では、「物自体」とは、一体何なのでしょうか。ショーペンハウアーは、「物自体」を「意志」であると規定します。ショーペンハウアーは、我々が自身の内面を省みるとき、思考や表象の背後には、常に「〜したい」という欲求や衝動が存在することに気づくと指摘します。そして、この欲求や衝動こそが、「意志」の現れであると考えます。さらに、この「意志」は、我々人間だけでなく、動物、植物、さらには無機物に至るまで、あらゆる存在の根底に共通して存在する、盲目的で、非理性的で、飽くなき striving(努力、 striving は訳語が難しく、文脈に応じて「努力」「希求」「衝動」「奔力」などと訳される)であると主張します。

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世界は意志の表象である

ショーペンハウアーは、世界は「意志の表象」であると結論づけます。つまり、我々が認識する現象世界は、すべて「物自体」としての「意志」が、時間、空間、因果律という認識の形式を通して現象化された姿に過ぎません。そして、個々の現象は、すべて「意志」の客観化、すなわち「意志」が目に見える形をとったものであるとされます。例えば、石は「意志」の凝固であり、植物は「意志」の成長であり、動物は「意志」の運動です。そして、人間もまた、その肉体や欲求、感情、さらには思考に至るまで、すべてが「意志」の現象に過ぎません。

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