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シュミットの政治的なものの概念が扱う社会問題

シュミットの政治的なものの概念が扱う社会問題

友と敵の区別

カール・シュミットにとって、政治的なものは、究極的には「友」と「敵」の区別という根本概念に還元されます。この区別は、単なる意見の相違や利害の対立を超えた、実存的な対立を意味します。シュミットは、人間は本質的に集団形成を行う生き物であり、その集団のアイデンティティは、他者との差異、特に敵対する他者との差異によって規定されると考えました。

政治的判断と例外状態

シュミットは、政治的なものの本質は、まさにこの「敵」を決定する行為、すなわち「政治的判断」にあると主張しました。政治とは、最終的には誰が「友」であり、誰が「敵」であるかを決定するプロセスであり、この判断は、いかなる法や道徳の基準にも還元できない、主権者の決断によって行われます。さらに、この「敵」の決定は、法秩序が停止された「例外状態」において最も明確に現れるとされます。例外状態においては、国家の存続が脅かされるため、通常の法秩序を超えた、主権者の決断が求められるからです。

リベラリズム批判

シュミットは、自らの政治思想を背景に、当時の支配的な政治思想であったリベラリズムを厳しく批判しました。リベラリズムは、理性に基づく議論と妥協によって政治的な問題を解決することを目指しますが、シュミットは、このような考え方は、政治的なものの本質である「友」と「敵」の区別を曖昧にするものだと考えました。リベラリズムは、対話を重視することで、真の政治的判断を回避し、「敵」の存在を否定しようとする。しかし、シュミットにとって、「敵」の存在は、政治的な現実の一部であり、それを無視することは、政治そのものを否定することにつながると考えました。

全体主義への道

シュミットの政治思想は、その鋭い洞察力と論理の厳密さにもかかわらず、危険な側面も孕んでいます。特に、「友」と「敵」の区別を絶対視し、民主主義的な手続きを軽視する傾向は、全体主義を正当化する論理として利用される可能性もはらんでいます。実際、ナチス政権下におけるシュミットの行動は、彼の思想が孕む危険性を如実に示すものと言えるでしょう。

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