## シュティルナーの唯一者とその所有の批評
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所有の概念の曖昧性
シュティルナーは著書の中で、「所有」という言葉を多義的に使用しており、それが批判の的となっています。彼は、国家や社会といった外部からの強制から解放された「唯一者」が、自己の力によってあらゆるものを「所有」すると主張します。しかし、この「所有」が何を意味するのか明確ではありません。具体的には、物質的な所有を指すのか、それとも精神的な支配を意味するのかが曖昧です。
例えば、シュティルナーは「唯一者」が他者を「所有」することも肯定的に論じています。これが、他者を自己の目的のために自由に利用することを意味するならば、それは倫理的に問題視される可能性があります。一方で、単に他者との深い関係性を築くことを指すのであれば、必ずしも否定的な意味合いを持つわけではありません。このように、シュティルナーの「所有」概念は解釈の余地が大きく、その曖昧さが批判の対象となっています。
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唯一者と社会の関係の希薄さ
シュティルナーは「唯一者」を、あらゆる外部からの強制から解放された絶対的に自由な存在として描きます。しかし、現実の社会において、人間は常に他者との関係の中で生きており、完全に孤立した状態で存在することは不可能です。
シュティルナーは、社会や国家を個人の自由を阻害する抑圧的な機構として批判し、「唯一者」はそれらを超越した存在であると主張します。しかし、社会や国家は、個人が安全に生活し、自身の能力を最大限に発揮するための基盤を提供する側面も持ち合わせています。シュティルナーの思想は、そうした社会との関係性や相互依存性を軽視しているという指摘があります。
「唯一者」同士の関係についても、具体的な説明は乏しく、利己的な個人のみが存在する世界では、協力や連帯といった社会的な価値観が成り立ち得なくなる可能性も懸念されます。シュティルナーは、既存の社会のあり方を批判する一方で、「唯一者」が築くべき新たな社会の具体的なビジョンを示すことはできませんでした。
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エゴイズムとニヒリズムへの傾倒
シュティルナーの思想は、自己中心的なエゴイズムや、あらゆる価値を否定するニヒリズムへとつながる可能性があると批判されています。彼が「唯一者」の自由を絶対視し、道徳や規範といった既存の価値観を否定する点は、自己の欲望を満たすことのみを正当化するエゴイズムを助長する可能性を孕んでいます。
もちろん、シュティルナー自身は、自己の利益のみを追求することを推奨しているわけではなく、「唯一者」は自己の良心や信念に基づいて行動するとしています。しかし、彼が「唯一者」の行動を制限するあらゆる外部からの強制を否定する以上、その行動がエゴイズムに陥ってしまう危険性も否定できません。
また、既存の価値観を全て否定することで、社会全体の道徳的な基盤が崩壊し、無秩序状態に陥る可能性も指摘されています。シュティルナーの思想は、既存の社会体制や価値観に対するラディカルな批判として一定の影響を与えましたが、同時に、その極端な個人主義と価値相対主義は、多くの批判を招くこととなりました。