## シェーラーの宇宙における人間の位置の表現
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生命衝動と精神
シェーラーは、世界を理解する上で「生命」という概念を重視しました。彼によれば、世界は物質的なものと生命的なものの二元的に構成されています。そして、生命は単なる物質の複雑な組み合わせではなく、独自の「衝動」を持つものとして捉えられています。この「生命衝動」は、自己保存や種の保存といった生物学的活動の根底にある力であると同時に、世界をあるがままに感じ、それに反応する能力でもあります。
シェーラーは、植物、動物、人間という生命の階層構造を考え、それぞれ異なるレベルの生命衝動を持っているとしました。植物は、環境に適応し、成長、生殖といった基本的な生命活動を営みます。動物は、これに加えて感覚や感情を持ち、より能動的に環境と関わりを持つことができます。そして、人間は「精神」を持つという点で動物と一線を画します。
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人間の精神と「開かれた存在」
シェーラーは、人間の精神を「開かれた存在」と表現しました。動物の意識が環境に密着し、特定の対象にのみ向けられているのに対し、人間の精神は環境からある程度自由になることができます。人間は、対象をありのままに把握するだけでなく、その意味や価値を解釈し、さらにその先にある理想や理念を構想することができます。
この精神の働きによって、人間は時間や空間を超越した世界、例えば歴史や文化、倫理、宗教といった世界を創造することが可能になります。さらに、人間は自らの内面にも意識を向けることができ、自己認識や反省を通じて自らの存在意義を問い続ける存在となります。
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宇宙における人間の位置
シェーラーは、人間を「宇宙の開墾者」と表現しました。それは、人間が精神の働きによって、他の生物には到達できない世界を開拓し、宇宙に新たな意味と価値を創造する存在であることを意味します。
ただし、シェーラーは人間中心主義的な立場をとっていたわけではありません。彼は、人間もまた宇宙の一部であり、生命衝動という大きな流れの中に位置づけられる存在であることを強調しました。人間は、他の生物や自然環境とのつながりの中で生きており、そのことを自覚することが重要であると説いています。