## シェーラーの宇宙における人間の位置の力
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シェーラーにおける「人間」の位置
シェーラーは、人間を生物学的な存在として捉えるのではなく、世界の中に位置づけられた存在として理解しようとしました。彼によれば、人間は動物と異なり、世界を客観的に把握し、自己を世界から切り離して認識することができます。この人間の特殊な能力を、シェーラーは「世界開放性」と呼びました。
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「世界開放性」がもたらす人間の「脱中心化」
シェーラーは、世界開放性を持つ人間は、世界の中心に位置づけられているわけではないと主張しました。動物は、自身の環境を、生存に必要なものとそうでないものという二元論的な視点でしか捉えることができません。一方、人間は世界を客観的に認識することで、自身もまた世界を構成する要素の一つであるということに気づき、相対化されます。
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「衝動」と「精神」における人間の優位性
シェーラーは、生命の活動を支える根源的な力として「衝動」という概念を導入しました。植物は、栄養摂取や成長といった、生命維持のための衝動のみを持っています。動物は、それに加えて、外界を認識し、それに反応して行動する衝動を持っています。そして、人間はさらに、「精神」という高次の衝動を持つとシェーラーは考えました。精神は、世界を客観的に認識し、価値を判断し、倫理的な行動をとることを可能にする力です。
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「精神」の力と限界
シェーラーは、人間の精神を、他の生命には見られない、世界における特殊な位置を占めるものと位置づけました。しかし、シェーラーは同時に、精神は万能ではないとも考えていました。精神は、物質的な世界に直接働きかけることはできません。また、精神は、無意識の領域や感情的な衝動の影響を受けることもあります。