Skip to content Skip to footer

シェリングの人間的自由の本質の位置づけ

## シェリングの人間的自由の本質の位置づけ

###

シェリング哲学における自由の概念の位置

シェリングにとって、自由は体系の頂点に位置づけられる概念ではなく、彼の哲学全体を貫く問題意識と言えます。
特に、自然哲学と超越論哲学の統合という彼の課題において、自由は重要な役割を果たしています。
初期の自然哲学において、シェリングは自然を無意識的な力と捉え、その発展を自由の段階的な顕現として理解しようとしました。
一方で、超越論哲学においては、人間の意識と行為における自由の問題に焦点を当て、自我の自己規定という観点から自由を考察しています。

###

フィヒテおよびヘーゲルとの比較における独自性

シェリングの自由の概念は、フィヒテやヘーゲルの影響を受けながらも、独自の展開を見せています。
フィヒテは、自我の自己設定を自由の根拠と捉え、道徳的な要請としての自由を強調しました。
一方、ヘーゲルは、自由を精神の自己展開の過程として捉え、歴史的な発展と密接に結びつけました。
シェリングは、フィヒテのように自由を自我の活動に限定せず、またヘーゲルのように歴史の必然性に解消することもありません。
彼は、自由を有限な存在である人間の根源的なあり方として捉え、自然と精神、必然と自由の対立を克服しようとする点に独自性があります。

###

自由と悪の問題

シェリングは、自由を単なる選択の自由としてではなく、むしろ悪の可能性を孕んだものとして捉えています。
彼は、人間存在の根底に「根拠 없는 根拠」としての自由を認め、この自由が善への指向と同時に悪への可能性をも包含していると主張しました。
これは、人間の自由が単なる理性的な選択を超えた、より根源的なレベルに根ざしていることを示唆しています。
シェリングにとって、悪は自由の否定ではなく、むしろ自由の現実性を示すものであり、人間存在の不可避な側面として理解されています。

Amazonで詳細を見る
読書意欲が高いうちに読むと理解度が高まります。

Leave a comment

0.0/5