シェイクスピアの終わりよければすべてよしを読む
ヘレナの人物像について考察する
孤児でありながら、機知に富み、意志の強い女性であるヘレナは、身分の違いをものともせず、伯爵の息子バートラムに恋をする。彼女は知性と機転を駆使して、バートラムの心を射止めようと奮闘する。劇中では、彼女の行動が倫理的に問題視されることもあるが、その行動力の源には、純粋な愛情と、身分を超えた自立への強い意志が見て取れる。
バートラムの変容はあり得るのか
フランス国王の侍医の娘であるヘレナとの結婚を拒絶するバートラムは、世間知らずで未熟な青年として描かれている。ヘレナを欺き、戦争へ逃亡する彼の姿は、身勝手さと無責任さを露呈している。劇の終盤、バートラムは国王の命令に従い、ヘレナを受け入れる姿勢を見せる。しかし、彼の態度の変化が、ヘレナの策略によるものなのか、心からの改心によるものなのかは、観客の解釈に委ねられている。
「終わりよければすべてよし」という結末の解釈
バートラムが最終的にヘレナを受け入れることで、劇は一見ハッピーエンドを迎える。しかし、そこに至るまでの過程や登場人物たちの複雑な感情を考えると、「終わりよければすべてよし」という言葉が、皮肉めいた響きを持つことがわかる。シェイクスピアは、単純なハッピーエンドではなく、様々な解釈が可能な余韻を残すことで、観客に問題提起を投げかけていると言えるだろう。