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シェイクスピアの終わりよければすべてよしに関連する歴史上の事件

## シェイクスピアの終わりよければすべてよしに関連する歴史上の事件

フランス宗教戦争 (1562-1598)

「終わりよければすべてよし」は、許しと和解をテーマにした作品ですが、これはフランス宗教戦争(1562-1598)の時代背景と密接に関連していると考えられます。この宗教戦争は、フランス国内のカトリックとプロテスタント(ユグノー)の間で繰り広げられた、長く血腥い戦いであり、フランス社会に深い傷跡を残しました。

ナントの勅令 (1598)

劇中で描かれる、フランス国王による戦争の終結と恩赦の宣言は、1598年にフランス国王アンリ4世によって発布された「ナントの勅令」を想起させます。この勅令は、ユグノーに信仰の自由を認めることで、長年の宗教戦争に終止符を打った画期的なものでした。

エリザベス朝イングランドの宗教対立

フランスの宗教戦争はイングランドにとっても対岸の火事ではありませんでした。エリザベス1世治世下のイングランドも、カトリックとプロテスタントの対立を抱えており、フランスの動乱は常にイングランド社会に不安定要因をもたらしました。シェイクスピアが「終わりよければすべてよし」の中で、宗教的な対立を直接的に描かなかったとしても、当時の観客はフランスの状況と自国の状況を重ね合わせて見ていた可能性があります。

スペインとの戦争と和解

エリザベス朝イングランドは、スペインとも長年にわたる抗争を繰り広げていました。1588年のアルマダの海戦におけるスペイン無敵艦隊の壊滅は、イングランドにとって大きな勝利となりましたが、その後も両国の緊張関係は続きました。しかし、エリザベス1世の死後、王位を継承したジェームズ1世は、スペインとの和平路線を推進し、1604年にはロンドン条約を締結して戦争状態を終結させました。

劇中のロマンスと現実の政略結婚

「終わりよければすべてよし」では、身分の違いを超えたロマンスが描かれますが、これは当時の王侯貴族の間で頻繁に行われた政略結婚と対比をなしています。エリザベス1世自身、結婚をせず「処女王」として君臨しましたが、彼女の死後、イングランドとスコットランドの王位を統合したジェームズ1世は、ヨーロッパ諸国との関係強化のために、自身の息子や娘を外国の王侯貴族と結婚させています。

これらの歴史的出来事とシェイクスピアの「終わりよければすべてよし」との関連性を考察することで、この作品が持つ深みや複雑さをより深く理解することができます。

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