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シェイクスピアのリチャード二世と時間

## シェイクスピアのリチャード二世と時間

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時間の測り方

「リチャード二世」では、時間の経過と測定が繰り返し問題となります。劇は、リチャードの治世の最後の2年間を描いていますが、その中で、さまざまな登場人物が時間の経過を異なる方法で経験し、解釈します。

リチャード自身、時間は自分の支配下にあるもの、自分の王権と結びついたものだと考えています。彼は、自分を太陽になぞらえ、自分の意志で時間の流れをコントロールできると信じています。「太陽のように、私は玉座に座っている」(第3幕第2場) と宣言し、自分の権力が神の摂理によって保障されているという信念を表しています。

しかし、ボリングブルックが権力を握ると、リチャードは時間の経過に対する支配力を失っていきます。彼は囚人となり、自分の運命を待つことしかできなくなります。この無力さは、時計の音を数えることに執着することでさらに強調されます。「私は時計の音を聞く」(第5幕第5場) と嘆き、過ぎゆく時間の重みと、自分の死が刻一刻と近づいていることを痛感させられます。

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時間の流れ

劇中の時間の流れは、一様ではありません。政治的な陰謀や戦闘が展開される場面では、時間は急速に経過するように見えます。一方、リチャードが自分の運命を熟考したり、登場人物が時間の経過について哲学的に考察したりする場面では、時間は引き延ばされ、ほとんど静止しているようにさえ感じられます。

この時間の流れの不規則さは、登場人物の主観的な時間経験を反映しています。たとえば、リチャードは権力の絶頂にあるとき、時間は自分の味方であるかのように感じています。しかし、王位を追われると、時間は容赦なく彼を追い詰める敵となります。

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時間と歴史

「リチャード二世」はまた、歴史における時間の役割についても考察しています。劇は、1人の王の興亡という個人的な物語であると同時に、イングランド史における重要な転換点を象徴するものでもあります。リチャードの退位は、中世からルネサンスへの移行、そして伝統的な王権の概念から、より近代的な国家の概念への移行を象徴しています。

シェイクスピアは、時間を単なる抽象的な概念として描くのではなく、登場人物の生活や、劇中の出来事に影響を与える力強い力として描いています。時間は、「リチャード二世」においては、登場人物の運命を形作り、歴史の流れを決定づける重要な要素となっています。

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