## シェイクスピアのペリクリーズの周辺
執筆年代とテキスト
「ペリクリーズ」が初めて出版されたのは1609年の四折版であり、これはシェイクスピアの存命中に出版された作品の1つです。しかし、この四折版は質が悪く、多くの誤植や脱落が含まれていました。その後、1611年、1619年、1630年、1635年にそれぞれ再版されましたが、いずれも最初の四折版に基づいており、テキストの問題は解決されませんでした。
「ファースト・フォリオ」(1623年)には「ペリクリーズ」は収録されていませんでした。これは、「ペリクリーズ」がシェイクスピアの単独作品ではなく、他の劇作家との合作である可能性を示唆しているという意見もあります。
作者論争
「ペリクリーズ」の作者については、長い間議論が続いてきました。多くの研究者は、劇の最初の2幕が他の劇作家によって書かれ、残りの部分がシェイクスピアによって書かれたか、大幅に改訂されたと考えています。その根拠として、初期の2幕と後半部分では、文風、韻律、劇作術の質に大きな違いが見られることが挙げられます。
シェイクスピア以外に作者として名前が挙がっているのは、ジョージ・ウィルキンスやトーマス・ヘイウッドなどです。しかし、現時点では決定的な証拠はなく、「ペリクリーズ」の作者論争は解決には至っていません。
典源
「ペリクリーズ」の物語は、主にジョン・トワインの「アポロニウス・オブ・タイア物語集」(Confessio Amantis, 1390年頃)と、その散文版であるローレンス・トワインの「アポロニウス・オブ・タイア物語」(The Pattern of Painful Adventures, 1576年頃)に基づいています。これらの作品は、古代ギリシャの作家による「アポロニウス・オブ・タイア物語」の翻案です。
シェイクスピアは、これらの典源を忠実に脚色しながらも、登場人物の心理描写を深め、劇的な効果を高めるために独自の変更を加えています。
上演史
「ペリクリーズ」は、シェイクスピアの存命中に何度か上演されたという記録が残っています。しかし、17世紀後半には人気が衰え、その後長い間上演される機会はほとんどありませんでした。
19世紀後半から20世紀にかけて、シェイクスピアの全作品上演を目指した動きの中で、「ペリクリーズ」も再び上演されるようになりました。現在では、他のシェイクスピア作品と比べると上演頻度は高くありませんが、根強い人気を誇る作品の一つとなっています。