## シェイクスピアのじゃじゃ馬ならしから学ぶ時代性
結婚と女性の立場
「じゃじゃ馬ならし」は、16世紀後半のエリザベス朝時代のイングランドを舞台に書かれました。当時の結婚は、現代とは大きく異なり、恋愛感情よりも家父長制に基づいた家と家の結びつきという側面が強くありました。女性は男性の所有物とみなされ、結婚後は夫に従属することが当然とされていました。
劇中では、裕福なバプティスタの娘であるキャサリンとビアンカの結婚が描かれます。美しいビアンカには求婚者が後を絶ちませんが、姉のキャサリンは気が強く「じゃじゃ馬」と呼ばれ、結婚相手が見つかりません。バプティスタは、ビアンカを結婚させるにはまずキャサリンを嫁がせる必要があるという条件を出し、物語は動き始めます。
男性中心社会の価値観
ペトルーチオは、キャサリンを妻にするために、彼女を「飼い慣らそう」とします。彼は、睡眠や食事を制限したり、わざと彼女の意見を否定したりすることで、キャサリンの抵抗を徐々に弱体化させていきます。
現代の視点から見ると、ペトルーチオの行動はDVやモラハラと捉えかねない側面があります。しかし、当時の社会では、夫が妻を従わせることが当然とされており、ペトルーチオの言動はむしろ「じゃじゃ馬」を「理想の妻」へと変えるための教育的なプロセスとして描かれている点が重要です。
喜劇としての解釈と現代社会への問いかけ
「じゃじゃ馬ならし」は、最終的にキャサリンがペトルーチオに従順な妻となり、夫婦和解を迎えるという喜劇として描かれています。しかし、この結末を現代社会の価値観でそのまま受け入れることはできません。
重要なのは、この作品を単なる時代錯誤な物語として片付けるのではなく、当時の社会規範や男女観を理解する手がかりとして捉え、現代社会におけるジェンダーや夫婦の関係について考えるきっかけとすることではないでしょうか。