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サルトルの弁証法的理性批判と人間

サルトルの弁証法的理性批判と人間

サルトルの思想における弁証法的理性批判の位置づけ

サルトルの主著『存在と無』は現象学的立場から人間の主観性を分析したものでしたが、その後のサルトルは、歴史や社会の現実を前に、個人の自由と責任を説くだけでは現実への有効な介入ができないというジレンマに直面しました。

そこでサルトルは、マルクスの唯物史観の影響を受けながらも、それを独自の視点で批判的に継承することで、個人の自由と歴史的必然性を止揚しようとしたのです。その試みの中心となるのが1960年に発表された『弁証法的理性批判』でした。

この著作は、ヘーゲルやマルクスの弁証法を批判的に検討しつつ、人間の praxis(実践)を基軸とした新しい弁証法の理論を展開することを目的としています。サルトルは、人間の思考と行動が、客観的な物質的条件と相互作用しながら歴史を動かすダイナミズムを解明しようと試みました。

人間の根本的な状況:疎外と実践

サルトルは、人間存在を「実存」として捉え、「実存は本質に先立つ」と述べました。これは、人間にはあらかじめ決められた本質はなく、自由な選択と行動によって自らを作り上げていく存在であることを意味します。

しかし、人間は常に他者との関係性の中で生きており、その関係性は往々にして「疎外」を生み出します。疎外とは、自己の労働やその産物が、資本主義社会のシステムの中で、自己から alienated(切り離され) たものとして立ち現れる状態を指します。

この疎外状態から脱却し、真の自由を獲得するためには、人間は「実践」を通して積極的に世界と関わり、歴史を創造していく必要があるとサルトルは主張しました。実践とは、単なる労働や活動ではなく、目的意識と主体性を持った能動的な行為を指します。

サルトルは、個人の実践が、他者の実践と相互に作用し合いながら、社会全体を transformative(変革) する力を持つと考えたのです。

『弁証法的理性批判』は難解なことで知られており、サルトル自身も完結させることができませんでした。しかし、人間の自由と歴史、個人と社会の関係を考察する上で重要な視点を提供していると言えます。

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