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ゴーゴリの死せる魂の原点

ゴーゴリの死せる魂の原点

プーシキンの影響

ゴーゴリの「死せる魂」の着想は、友人であり文豪であったアレクサンドル・プーシキンから提供されたと言われています。1835年9月、ゴーゴリはプーシキンと会談し、新作の構想について話し合いました。その際、プーシキンは自身が構想していた「詐欺師が、死んだ農奴(ロシアでは魂と呼ばれていた)を担保に金を借りる」という話をゴーゴリに伝えました。ゴーゴリはこのアイデアに強く惹かれ、プーシキンからこの話の構想を譲り受けたとされています。

プーシキンは、当時流行していた詐欺事件や、農奴制の矛盾、人間の愚かさや貪欲さを風刺する作品を書きたいと考えていました。ゴーゴリもまた、当時のロシア社会が抱える問題を風刺的に描きたいと考えており、プーシキンのアイデアはそのような作品を書くための絶好の題材となりました。

当時のロシア社会の状況

「死せる魂」は、19世紀前半のロシア社会を舞台にした作品です。当時のロシアは、農奴制という旧態依然とした社会体制の下にありました。農奴は、地主に所有される存在であり、人間としての基本的な権利を認められていませんでした。

また、当時のロシア社会は、官僚主義や腐敗が蔓延しており、人々は道徳的に退廃していました。ゴーゴリは、「死せる魂」を通じて、このようなロシア社会の矛盾や問題点を鋭く風刺しています。

ダンテの「神曲」の影響

「死せる魂」は、ダンテの「神曲」から大きな影響を受けています。ゴーゴリは、「死せる魂」を三部作として構想しており、それぞれ「地獄篇」「煉獄篇」「天国篇」に対応する予定でした。

「神曲」と同様に、「死せる魂」の主人公チチコフは、ロシア社会という「地獄」を旅しながら、様々な人々との出会いを経験します。チチコフは、詐欺師として、人間の醜い部分を目の当たりにすることになりますが、同時に、人間の弱さや哀しみについても理解を深めていきます。

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