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ケルゼンの自然法論と法実証主義の技法

## ケルゼンの自然法論と法実証主義の技法

自然法論の批判

ケルゼンは、自然法論が「自然」と「法」を混同していると批判しました。自然法論者は、道徳的に正しいことが法であり、道徳的に間違っていることは法ではないと主張するとケルゼンは解釈しました。ケルゼンにとって、これは「法」という概念を曖昧にするものでした。彼は、「法」という用語は、道徳的な内容とは無関係に、特定の社会において有効な規範を指すために使用されるべきだと考えました。

ケルゼンは、自然法論が「存在」と「当為」を混同していると批判しました。自然法論者は、現実の世界に存在するものから、どのように振る舞うべきかについての結論を導き出すとケルゼンは解釈しました。ケルゼンにとって、これは論理的な誤謬でした。彼は、「存在」に関する記述から「当為」に関する記述を導き出すことはできないと主張しました。

これらの批判を通して、ケルゼンは自然法論の論理構造と概念的使用を厳しく批判しました。彼は、自然法論が法と道徳、存在と当為を混同していることを示すことで、その理論的な基盤を弱体化させようとしました。

法実証主義の方法

ケルゼンは、法実証主義の方法を支持しました。法実証主義とは、法を、その内容ではなく、その制定過程に基づいて理解しようとする立場です。ケルゼンにとって、法は人間の行為によって創造された規範体系であり、その内容は道徳的価値判断とは独立しています。

ケルゼンは、「純粋法学」と呼ばれる法理論を展開しました。純粋法学は、法を他の社会現象から分離して、その構造と論理を明らかにしようとします。ケルゼンは、法体系を、上位の規範が下位の規範に妥当性を付与するという階層構造として理解しました。この階層構造の頂点には、「基本規範」と呼ばれる、他のいかなる規範からも導き出されない究極的な妥当性の根拠が存在します。

ケルゼンの法実証主義は、法を客観的に記述し、その論理構造を明らかにしようとする試みでした。彼は、法と道徳を明確に区別することで、法学を価値判断から解放し、真に科学的な学問にしようと考えました。

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