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グロチウスの自由海論の秘密

グロチウスの自由海論の秘密

「自由海論」誕生の背景

1603年、ポルトガルは、東インドとの交易路を独占するために、リスボンに入港する全ての船舶に対して積荷検査を行うという強硬な政策を実施していました。この政策は、当時新興の海洋国家であったオランダにとって大きな経済的脅威となっていました。

グロチウスの登場と「自由海論」

そんな中、1604年、弱冠21歳の法学者グロチウスは、オランダ東インド会社に雇われ、ポルトガルの主張に反論する論文を執筆しました。これが後に「自由海論」と呼ばれることになる論文です。

「自由海論」の中身

「自由海論」の中でグロチウスは、海洋は全ての人々に開かれたものであり、いかなる国家もそれを独占することはできないと主張しました。彼は、ローマ法における「万民法」の概念を援用し、海は航行と通商のために万人に共通して開かれているべきであると論じました。

「自由海論」の影響

「自由海論」は、出版当初は大きな反響を呼びませんでしたが、1609年に出版されると、国際法の古典として広く読まれるようになり、その後の国際海洋秩序の形成に大きな影響を与えました。特に、「領海」の概念を確立し、国家が自国の沿岸から一定範囲の海域を管轄できるという考え方を提示した点は画期的でした。

「自由海論」の限界

しかし、「自由海論」は、あくまで当時のオランダの利益を擁護するために書かれたものであり、その主張には限界も指摘されています。例えば、グロチウスは、奴隷貿易については明確に反対していませんでした。

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