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# クリエイティブな人のためのサルトル「存在と無」

# クリエイティブな人のためのサルトル「存在と無」

サルトルの実存主義と創造性:自由という根本概念

サルトルの実存主義の中心には、「実存は本質に先立つ」という有名なテーゼがあります。これは、人間にはあらかじめ決められた本質、例えば「人間とはこうあるべき」といった鋳型のようなものが存在せず、まず世界に投げ出された「実存」として存在し、その後、自分の選択と行動によって自らの本質を創造していく、という意味です。言い換えれば、人間は自由であるということです。この自由は、サルトルによれば、同時に責任と不安を伴うものです。なぜなら、自分自身を規定するものは何もなく、すべての可能性が開かれているということは、逆に言えば、自分の選択によって自分自身を作り上げていく責任を負わなければならないからです。そして、その責任の重圧は、しばしば不安や苦悩を生み出します。

「無」としての意識と創造行為

サルトルは、人間の意識を「無」であると特徴付けます。これは、意識が対象を「意識する」ことによって、対象と自分自身との間に距離を作り出し、対象を「無いもの」として捉えることができるからです。例えば、目の前にある椅子を意識するとき、私たちは椅子そのものと一体化するのではなく、椅子を「意識している自分」と「意識されている椅子」という二項対立を生み出します。この「無」としての意識は、単なる消極的なものではなく、むしろ能動的なものです。なぜなら、意識は対象を「無いもの」として捉えることによって、対象を自由に操作したり、意味を与えたりすることができるからです。

この意識の働きは、創造行為と密接に関係しています。例えば、画家が絵を描くとき、まず白いキャンバスという「無」を前にします。そして、その「無」に対して、自分の意識によってイメージを投影し、色や形を与えていくことで、作品を創造していきます。作家が小説を書くときも同様です。白い紙という「無」から出発し、そこに文字を書き入れることで、登場人物や物語を生み出していきます。このように、創造行為とは、意識の「無」から出発し、そこに意味や価値を創造していく行為と言えるでしょう。

アンガージュマン:創造行為を通じた自己実現

サルトルは、人間は自由であると同時に、その自由を社会の中で行使する責任があると主張します。彼はこれを「アンガージュマン」(engagement:参加、介入)という言葉で表現しました。アンガージュマンとは、社会に対して無関心ではなく、積極的に関わり、自分の自由を行使することによって、より良い社会の実現を目指していくことです。

クリエイティブな人にとって、このアンガージュマンは、自分の創造行為を通じて実現することができます。例えば、社会問題をテーマにした作品を制作することで、人々に問題意識を喚起したり、議論を促したりすることができます。あるいは、美しい音楽や絵画によって、人々に感動や希望を与えることもできます。このように、創造行為は、単なる自己表現にとどまらず、社会に対して積極的に働きかける手段となるのです。

「実存主義はヒューマニズムである」:創造性と人間の尊厳

サルトルは、「実存主義はヒューマニズムである」という講演の中で、実存主義は人間を孤独で絶望的な存在として描くものではなく、むしろ人間の自由と責任を強調することによって、人間の尊厳を擁護する思想であると主張しました。人間は、自分自身を自由に創造していくことができるという点で、他のいかなる存在とも異なる尊厳を持っているのです。

そして、この人間の尊厳は、創造性と密接に結びついています。創造行為は、人間が自分自身の可能性を実現し、世界に意味と価値を与えていく行為です。それは、人間が自由で責任ある存在であることの証であり、人間の尊厳を体現するものでもあると言えるでしょう。

サルトルの「存在と無」は、決して容易な書物ではありません。しかし、その難解さの中にこそ、人間の自由と責任、そして創造性の本質に関する深い洞察が隠されています。クリエイティブな人にとって、この書物との格闘は、自分自身の創造行為の意味を問い直し、新たな可能性を切り開くための貴重な経験となるでしょう。

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読書意欲が高いうちに読むと理解度が高まります。

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