## ギボンのローマ帝国衰亡史の発想
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ローマ帝国衰亡の原因に対するギボンの考察
エドワード・ギボンは、1776年から1789年にかけて刊行された『ローマ帝国衰亡史』の中で、ローマ帝国の衰亡について多角的に分析しています。 彼は、単一の要因に還元するのではなく、複雑な要因が絡み合って帝国の衰退を招いたと考えました。
ギボンは、ローマ帝国の衰亡の原因として、以下の要素を挙げ、それぞれ詳細に論じています。
* **野蛮な蛮族の侵入と定住**: ギボンは、ゲルマン民族をはじめとする北方からの蛮族の侵入と、その後のローマ帝国内部への定住が、帝国の軍事力と社会構造を弱体化させたと論じます。
* **キリスト教の興隆**: ギボンは、キリスト教の普及が、ローマの伝統的な価値観や市民道徳を衰退させ、軍事的な活力や市民としての責任感を弱めたと主張しました。特に、キリスト教の禁欲主義や来世への関心が、ローマ人の現世的な関心や公共心、軍事的な勇気を喪失させたと考えました。
* **政治体制の腐敗と専制化**: ローマ帝国後期の政治体制は、皇帝の権力が肥大化し、腐敗が進み、これが帝国の統治能力を低下させたとギボンは指摘します。官僚主義の蔓延、汚職の横行、そして皇位継承をめぐる内乱などが、帝国の衰退を加速させたと彼は分析しました。
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ギボンの歴史観と執筆の動機
ギボンは、歴史を過去の教訓から学ぶための重要な手段と考えていました。 彼は、ローマ帝国の興隆と衰亡という壮大な歴史的事象を分析することで、人間社会の普遍的な法則を見出そうとしました。
ギボンは、啓蒙主義の影響を強く受け、理性と経験的観察に基づいた歴史叙述を目指しました。 彼は、歴史は進歩と衰退のサイクルを繰り返すという循環論的な歴史観を持っていました。 ローマ帝国の衰亡は、この循環の一環であり、教訓を得ることで将来の世代が同じ過ちを繰り返さないようにすることができると信じていました。