キルケゴールの死にいたる病の対極
スピノザの「エチカ」における能動的情念と自己保存の欲求
キルケゴールが「死にいたる病」で描き出した絶望の存在論は、人間の有限性と自由の tension、そして自己との葛き合いから生まれる不安や苦悩に焦点を当てています。一方、スピノザの「エチカ」は、理性的な理解と自己保存の欲求を通じて、情念の支配から解放され、真の自由と幸福を獲得することを目指す点で、キルケゴールの思想と対極をなしています。
スピノザは、人間を含むすべての存在は、神の属性の表現態として必然的に存在し、一定の仕方で作用すると考えました。情念は、外部の事物によって身体に生じる作用であり、私たちの力が増大したり減少したりすることの感覚として経験されます。
情念の克服と能動的生活
スピノザは、情念を単に抑制すべき消極的なものとは捉えませんでした。彼は、情念を理解し、より高次の認識に基づく「能動的情念」へと転換することで、自己の力を増大させ、自由を獲得できると考えました。
能動的情念とは、理性に基づいて理解し、主体的に選択した行動から生じる情念です。例えば、他者を助けたいという理性的な判断に基づく行動は、喜びや満足といった能動的情念を生み出し、自己の力を高めるとされます。
自己保存の欲求と永遠の相のもとでの認識
スピノザは、人間を含むすべての存在は、自己を保存しようと努める「コナトゥス」という根本的な欲求を持つとしました。この自己保存の欲求こそが、私たちを能動的に行動させ、情念を克服し、より完全な存在へと導く原動力となります。
真の幸福は、個別の事物への執着や受動的な情念から解放され、「永遠の相のもとで」事物の本質を理性的に認識することによって得られます。これは、神、すなわち自然の秩序と一体となることで、永遠不滅の喜びを体験することに繋がるとされます。