## キルケゴールの死にいたる病と時間
時間と「絶望」の関係性
キルケゴールは、人間存在の根本的な問題として「絶望」を挙げ、その原因と克服の可能性を探求しました。彼が「死にいたる病」と呼ぶ絶望は、単なる一時的な感情ではなく、自己と時間との関係性の中で生じる、実存的な危機を指します。
人間は有限な存在であり、時間を線形に経験します。過去は過ぎ去り、未来はまだ訪れていません。我々は「現在」という束の間の瞬間にのみ存在し、常に変化と有限性に直面しています。キルケゴールによれば、この時間的な制約が、人間に不安や恐れ、そして絶望をもたらす要因となります。
「瞬間」と「永遠」の狭間における人間の苦悩
「死にいたる病」は、自己が「瞬間」に囚われ、「永遠」との関係を見失った状態として理解できます。キルケゴールは、人間を「無限と有限との総合」、「時間と永遠との総合」と定義しました。時間的な存在であると同時に、永遠性を志向する存在であることが、人間の特異性であり、同時に苦悩の根源ともなっています。
「瞬間」にのみ囚われた人間は、過去の過ちや未来への不安に苛まれ、真の自己を見失ってしまいます。永遠性を意識できないまま、有限な時間の中に閉じ込められた自己は、空虚感や無意味さに苦しみ、「死にいたる病」へと陥っていきます。
時間理解における客観性と主観性の対比
キルケゴールは、時間に対する理解において、客観的な時間と主観的な時間を区別しました。客観的な時間は、時計やカレンダーで計測される均質で線形的な時間です。一方、主観的な時間は、個人の内面における時間の流れであり、感情や経験によってその質や長さが変化します。
「死にいたる病」に陥った人間は、客観的な時間の支配下に置かれ、主観的な時間を生きることができません。過去の後悔や未来への不安に囚われ、「現在」という瞬間を真に経験することができないのです。