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キルケゴールの「死にいたる病」とアートとの関係

## キルケゴールの「死にいたる病」とアートとの関係

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絶望とアートの関係

キルケゴールは、「死にいたる病」の中で、絶望を「自己でありたいと願う自己と、自己でありたくないという自己との間の関係における絶望」と定義しています。 彼は、人間存在の本質は自己意識にあるとし、自己意識は必然的に絶望の可能性を孕んでいると主張しました。 なぜなら、自己は常に変化する可能性を秘めており、固定化することができないからです。

キルケゴールは、絶望には様々な形態があることを指摘しています。 無意識のうちに絶望している状態、絶望していることを自覚しながらも、そこから逃れようとする状態、そして絶望そのものを受け入れる状態です。 彼が「死にいたる病」と呼ぶのは、この最後の状態、つまり絶望を完全に受け入れ、自己を神の前に置くことを拒否し続ける状態です。

アートは、この絶望と深く関係しています。 キルケゴールは、真の芸術家は、人間の存在の深淵、つまり絶望を直視し、それを作品に表現する者だと考えていました。 芸術は、現実からの逃避ではなく、むしろ現実、特に人間の心の奥底にある絶望という現実と向き合うための手段なのです。

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様々な芸術形態と絶望

キルケゴールは、文学、音楽、演劇など、様々な芸術形態が人間の絶望を表現できることを示しました。 例えば、ギリシャ悲劇は、人間の運命の残酷さと、それに抗うことの不可能性を描写することで、絶望というテーマを扱っています。 また、シェイクスピアの戯曲も、人間の心の葛藤や、存在の不条理さを描き出すことで、絶望の深淵を覗き込んでいます。

キルケゴールは、特に音楽が人間の感情、特に絶望や不安といった、言葉で表現するのが難しい感情を表現するのに適していると見ていました。 彼は、モーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」を例に挙げ、その音楽が、主人公の享楽的な生活の裏に潜む、深い絶望と空虚さを表現していると分析しています。

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芸術の限界

しかし、キルケゴールは同時に、アートは絶望の解決策を提供するものではないことも強調しています。 アートは、絶望を表現し、私たちに突きつけることはできますが、そこから救い出すことはできません。 真の救済は、絶望を完全に受け入れ、神の前に自己を明け渡すことによってのみもたらされると彼は考えていました。

キルケゴールにとって、アートは人間の存在の真実、特に絶望という真実を明らかにする重要な手段でしたが、それはあくまで手段であり、目的ではありませんでした。 彼の思想において、アートは絶望の解決策ではなく、むしろ絶望の深淵を私たちに突きつけ、真の救済へと向かわせるための、一つの道標としての役割を担っていたと言えます。

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