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# キケロの老年についてを深く理解するための背景知識

# キケロの老年についてを深く理解するための背景知識

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キケロの人生と時代背景

マルクス・トゥッリウス・キケロ(紀元前106年 – 紀元前43年)は、共和政ローマ末期の政治家、文筆家、哲学者であり、ローマ最大の雄弁家として知られています。アルピヌムというラテン人の町で裕福な騎士階級の家に生まれ、最高の教育を受け、弁論術、哲学、法律を学びました。若い頃から弁論家として頭角を現し、数々の訴訟で勝利を収めて名声を築き上げました。紀元前75年にはクァエストル(財務官)、紀元前63年にはコンスル(執政官)に選出され、カティリナの陰謀を阻止したことで「祖国の父」と称えられました。

しかし、共和政ローマは末期的な混乱に陥っており、閥族派と民衆派の対立が激化していました。紀元前60年にはカエサル、ポンペイウス、クラッススによる第一回三頭政治が成立し、キケロは政治的に孤立していきます。紀元前58年には民衆派の政治家クロディウスによってローマから追放されますが、翌年には帰還を許されました。その後は政治の表舞台から遠ざかり、著述活動に専念します。

キケロは、ストア派、エピクロス派、アカデメイア派などのギリシャ哲学を深く研究し、ローマの伝統的な価値観と融合させながら独自の哲学を構築しました。彼の著作は、哲学、政治、修辞学、倫理学など多岐にわたり、後世のヨーロッパ思想に大きな影響を与えました。

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老年についてのローマ人の考え方

古代ローマ社会では、年齢を重ねることは経験と知恵の蓄積を意味し、老年期は尊敬されるべきものと考えられていました。元老院(セナトゥス)は文字通り「老人たちの会議」を意味し、政治や社会において重要な役割を果たしていました。家族においても、家長(パテル・ファミリアス)は一族の長として絶対的な権威を持ち、その多くは高齢者でした。

しかし、老年期には肉体的な衰えや病気、社会的な地位の低下といった問題も避けられませんでした。ローマの社会は非常に競争が激しく、若さと活力は高く評価されました。そのため、高齢者は社会から疎外され、孤独を感じることが多かったと考えられます。

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『老年について』執筆の背景

キケロが『老年について』を執筆したのは、紀元前44年、75歳のときでした。この年は、カエサルが暗殺され、共和政ローマの将来が不透明な状況でした。キケロ自身も、政治的な立場が不安定で、人生の晩年を迎えていました。

彼は、高齢者としての自身の経験や、ギリシャ哲学の知恵を基に、老いに対する不安や恐怖を克服し、老年期を充実させる方法を模索しました。『老年について』は、友人であるアッティクスに宛てた対話形式の著作であり、キケロ自身の老いに対する考え方が率直に語られています。

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『老年について』の内容

『老年について』では、4人の登場人物が老年期について語り合います。主な登場人物は、キケロの友人であるカト・マヨル(紀元前234年 – 紀元前149年)とスキピオ・アエミリアヌス(紀元前185年 – 紀元前129年)です。カトは、第二次ポエニ戦争で活躍したローマの政治家で、高齢になっても精力的に活動したことで知られています。スキピオは、第三次ポエニ戦争でカルタゴを滅ぼした将軍であり、カトの孫娘の夫です。

彼らは、老いによる肉体的な衰えや病気、社会的な地位の低下といった問題について議論しますが、同時に、老年期には若さにはない知恵や経験、心の平安といった利点もあることを強調します。カトは、老年期を充実させるためには、知的な活動や社会貢献、友人との交流などを大切にするべきだと説きます。

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『老年について』の影響

『老年について』は、古代ローマ時代から現代に至るまで、多くの人々に読まれ、老いに対する考え方や生き方に影響を与えてきました。キケロの深い人間洞察と、老年期に対する肯定的な視点は、時代を超えて人々の共感を呼んでいます。

特に、ルネサンス期以降、人文主義者たちはキケロの著作を高く評価し、『老年について』は老年期の過ごし方に関する古典的な指南書として広く読まれました。現代においても、『老年について』は、高齢化社会における人生設計を考える上で重要な示唆を与えてくれる著作として、高く評価されています。

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読書意欲が高いうちに読むと理解度が高まります。

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