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キケロの弁論術についての批評

## キケロの弁論術についての批評

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古代における評価

キケロの弁論術は、古代ローマにおいてすでに高く評価されていました。彼の著作は弁論術の教科書として広く読まれ、その影響は後世の作家たちにも及びました。例えば、クインティリアヌスは『弁論家教育』の中でキケロを理想の弁論家として賞賛し、その文体を模範としています。また、タキトゥスやプルタルコスといった歴史家たちも、キケロの弁論の才能を高く評価しています。

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ルネサンス期における再評価

ルネサンス期に入ると、キケロの弁論術は再び脚光を浴びることになります。人文主義者たちは、中世のスコラ哲学的な言語表現を批判し、古代ローマの古典的な文体を復興しようとしました。その中で、キケロの明晰で優雅な文体は理想とされ、多くの作家たちが彼を模倣しました。エラスムスやトマス・モアといった人文主義者たちは、キケロの著作を教材としてラテン語教育を行い、その影響はヨーロッパ中に広まりました。

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近代以降の批判

しかし、近代に入ると、キケロの弁論術に対する批判も現れ始めます。17世紀のフランスでは、デカルトやパスカルといった思想家たちが、キケロの修辞的な表現を過剰な装飾とみなし、理性的な思考を重視する新しい文体を提唱しました。また、19世紀の歴史家モムゼンは、キケロを政治的に優柔不断で、共和政ローマの衰退を招いた人物として批判しています。

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現代における再評価

20世紀後半以降、キケロの弁論術は、古代ローマの政治と文化を理解する上で重要な資料として、再び注目を集めています。現代の研究者たちは、キケロの著作を単なる修辞学の教科書としてではなく、当時の社会状況や政治思想を反映した歴史的資料として分析しています。

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