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キケロの友情についてが扱う社会問題

## キケロの友情についてが扱う社会問題

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ローマ共和制の衰退と友情の重要性

キケロが『友情について』を著したのは、紀元前44年、共和制末期のローマでした。カエサルが暗殺され、共和制の理念と現実の政治との間には深い溝が生まれていました。権力闘争、腐敗、内乱が蔓延し、伝統的な価値観は揺らいでいました。このような社会状況の中で、キケロは、共和制を支える道徳的な基盤としての「友情」の重要性を説きました。

キケロは、真の友情は、高潔な人間同士の間にのみ成立すると考えました。そして、高潔な人間とは、共和制の理念である自由、正義、公共善を重んじる市民であるとしました。つまり、キケロにとって、友情は単なる個人的な感情ではなく、共和制を維持するための重要な社会的な絆であったのです。

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友情における利害の追求と公共心

共和制の衰退とともに、ローマ社会では私欲や利害を優先する風潮が強まっていました。キケロは、このような風潮を批判し、真の友情は、利害を超えた高潔な精神に基づくべきだと主張しました。

しかし、現実には、友情と利害は複雑に絡み合っています。キケロ自身も、政治家として、多くの友人や支持者から援助を受けていました。そこでキケロは、友情における利害の追求を完全に否定するのではなく、公共心と調和させることの重要性を説きました。

つまり、真の友人は、互いの利益を図りつつも、それが公共の福祉に反しないかを常に意識する必要があるということです。キケロは、このような友情のあり方こそが、腐敗しがちな政治の世界においても、高潔さを保ち、共和制を支える道徳的な力になると考えました。

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