キケロの共和国について読む前に
キケロの人生と時代
キケロの『国家論』をより深く理解するには、まず作者であるマルクス・トゥッリウス・キケロ自身の人生と時代について理解を深めることが重要です。『国家論』は特定の歴史的文脈の中で書かれた作品であり、キケロ自身の政治的立場や経験が色濃く反映されています。
キケロは紀元前106年に生まれ、共和政ローマの末期を生きた人物です。彼は卓越した弁論家、政治家、哲学者として知られ、その思想や著作は西洋文化に多大な影響を与えてきました。彼は共和政の理念を強く信奉し、カティリーナの陰謀を阻止するなど、ローマ共和国の維持に尽力しました。
しかし、キケロの晩年はローマ内乱の時代と重なり、彼自身も政治的混乱に巻き込まれていきます。紀元前43年、アントニウスらによって殺害されました。彼の死は共和政ローマの終焉を象徴する出来事となりました。
プラトンの『国家』
キケロの『国家論』は、古代ギリシャの哲学者プラトンの著作である『国家』との強い関連性を持っています。プラトンの『国家』は、理想的な国家のあり方を探求した対話篇であり、西洋政治思想史に多大な影響を与えてきました。
『国家論』は『国家』の影響を大きく受けており、両作品は対話形式で書かれていること、理想的な国家の在り方を追求していること、正義や法の概念について深く考察していることなど、多くの共通点を持っています。
しかし、『国家論』は単なる『国家』の模倣ではありません。キケロはプラトンの思想を批判的に継承し、ローマの伝統や歴史的経験を踏まえた上で、独自の国家論を展開しています。
ローマ史の基礎知識
『国家論』は古代ローマを舞台にした作品であるため、ローマ史に関する基礎知識を持っていると、作品への理解がより深まります。特に、共和政ローマの政治体制や社会構造、ローマ人が重視していた価値観などについて知っておくことは重要です。
ローマ共和政は、王政が倒れた後、紀元前6世紀頃から紀元前1世紀まで続いた政治体制です。貴族階級であるパトリキと、平民階級であるプレブスからなる複雑な社会構造を持っていました。共和政ローマでは、市民の自由と権利が重視され、法の支配が重んじられていました。
ローマ史の主な出来事、例えば、ポエニ戦争、グラックス兄弟の改革、マリウスとスッラの内乱などについても知っておくと、当時のローマ社会が抱えていた問題や、キケロを取り巻く政治状況を理解する上で役立ちます。
断片的資料であること
『国家論』は、現在、完全に現存しているわけではなく、一部が失われた断片的資料として残されています。そのため、キケロの主張の全体像を把握することは容易ではありません。
現存する部分は、主に第1巻、第2巻、第3巻の一部、そして第5巻と第6巻の一部のみとなっています。特に、重要な議論が展開されていたと推測される第4巻は、ほとんどが失われており、その内容は断片的な引用や他の資料から推測するしかありません。
『国家論』を読む際には、この断片的性格を念頭に置き、失われた部分の内容を想像したり、他の資料と照らし合わせてキケロの主張を解釈したりする必要があることを理解しておくことが重要です。