ガリレオ・ガリレイの星界の報告の思想的背景
アリストテレス的宇宙観とプトレマイオスの天動説
ガリレオの時代、宇宙観はアリストテレスの思想とプトレマイオスの天動説が主流でした。アリストテレスは、宇宙は地球を中心とした同心円状の天球で構成され、それぞれに天体が張り付いていると考えました。月は最も内側に位置し、その外側には水星、金星、太陽、火星、木星、土星と続き、恒星天が宇宙の最外層に存在するとされました。
16世紀後半からの宇宙観の動揺
16世紀後半、この宇宙観に変化が訪れます。ニコラウス・コペルニクスが地動説を唱え、地球が太陽の周りを回っているという考えを示しました。これは従来の宇宙観に大きな影響を与えましたが、コペルニクスの説はあくまでも数学的な仮説として提示されたもので、多くの学者に受け入れられるには至りませんでした。
ガリレオの天体観測と地動説への傾倒
ガリレオは、自ら製作した望遠鏡を用いて天体観測を行いました。そして、月のクレーターや太陽の黒点、木星の衛星など、従来の宇宙観では説明できない現象を発見しました。これらの発見は、アリストテレス的な宇宙観に疑問を投げかけ、地動説を支持する根拠となりました。
「星界の報告」における新たな宇宙像の提示
1610年に出版された「星界の報告」は、ガリレオの天体観測の成果をまとめたものです。この書物の中でガリレオは、自らの観測結果に基づいて、プトレマイオスの天動説を否定し、コペルニクスの地動説を支持しました。具体的には、月の表面が完全な球体ではないこと、木星が衛星を持つことなどを証拠に挙げ、地球が宇宙の中心ではないことを主張しました。