## カントの純粋理性批判の美
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美的判断の独自性
カントは『純粋理性批判』の中で、真や善と並ぶ人間の認識能力として美を論じ、その独自性を明らかにしようとしました。真偽を判断する対象を認識する能力を
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認識能力
「認識能力」と呼び、善悪を判断する能力を「
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欲求能力
欲求能力」と呼びますが、美醜を判断する能力は「
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判断力
判断力」と名付けられます。判断力は認識能力と欲求能力の間に位置し、感覚的なものと概念的なものを媒介する役割を担います。
真偽の判断は対象が概念に一致するかどうか、善悪の判断は対象が意志に適合するかどうかによって決まりますが、美醜の判断は対象が快・不快といった感覚を生み出すか否かによって決定づけられます。
しかし、カントが言う美的判断は単なる主観的な感覚の表明ではありません。 美的判断には、それが普遍的な妥当性を持つことを期待する特有の要求、「
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共通感覚
共通感覚」への志向が存在します。 私たちは美しいものを見たとき、単に「私にとって美しい」と言うのではなく、「これは誰にとっても美しいはずだ」と感じます。
このことは、美的判断が主観的な感覚の表明であると同時に、何らかの客観的な根拠に基づいていることを示唆しています。カントは美的判断の客観的な根拠を、人間の認識能力の構造に求めました。
私たちは対象を認識する際に、感覚器官を通して得た雑多な感覚データを、時間や空間といった「感性」の形式や、因果性や実体性といった「悟性」のカテゴリーを用いて統合し、意味のあるものとして把握します。