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カントの純粋理性批判の思想的背景

## カントの純粋理性批判の思想的背景

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18世紀のヨーロッパ思想界における理性主義と経験主義の対立

カントの『純粋理性批判』が書かれた18世紀のヨーロッパ思想界は、大きく分けて二つの潮流、すなわち大陸における合理主義とイギリスにおける経験主義の対立によって特徴付けられます。

**合理主義**は、デカルト、スピノザ、ライプニッツらを代表とする思想であり、数学のように明晰かつ判明な理性に基づいて世界を認識しようとする立場です。彼らは、人間の理性には生得的な観念や原理が備わっており、それらを用いることで経験に頼らずとも真理に到達できると考えました。例えば、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」という有名な命題は、理性のみによって到達可能な絶対的な真理の一例です。

一方、**経験主義**は、ロック、バークリ、ヒュームらを代表とする思想であり、人間の知識の源泉はあくまでも感覚的経験であると主張します。彼らは、理性によって認識可能なのは、経験から抽象された概念や命題の論理的な関係だけであり、経験を超越した形而上学的な領域については認識不可能であると結論付けました。例えば、ヒュームは因果関係という概念でさえ、経験的に繰り返し観察される出来事の連鎖に過ぎないと論じ、伝統的な形而上学や神学に大きな影響を与えました。

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ヒュームの懐疑主義とカント哲学の出発点

カントは、当初はライプニッツ=ヴォルフ派の合理主義的な思想の影響を受けていましたが、ヒュームの経験主義的な批判、特に因果関係に対する懐疑論に衝撃を受けたとされています。ヒュームによれば、因果関係は経験的に観察される出来事の恒常的な連接に我々が習慣的に結びつけて考えているものに過ぎず、その必然性を理性的に証明することは不可能です。

カントはこのヒュームの批判を深刻に受け止め、「ヒュームは私を独断のまどろみから覚醒させた」と述べています。そして、伝統的な形而上学を擁護しようとする合理主義と、人間の認識能力の限界を主張する経験主義のいずれにも限界があると認識し、両者を批判的に乗り越える新しい哲学の必要性を痛感しました。

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ニュートン力学の成功とカントの「コペルニクス的転回」

カントが『純粋理性批判』において目指したのは、ヒュームの懐疑主義に陥ることなく、人間の理性による認識の確実性を基礎付けることでした。その際、カントに大きな影響を与えたのが、17世紀後半にニュートンによって確立された古典力学の成功です。

ニュートン力学は、万有引力の法則などの普遍的な法則に基づいて、天体の運動や地上の物体の運動を統一的に説明することに成功しました。カントは、ニュートン力学の成功は、人間の理性がある程度普遍的かつ必然的な知識に到達できる可能性を示していると考えました。

しかし、カントは同時に、ニュートン力学が対象とするのはあくまでも現象界、すなわち我々が感覚を通して経験する世界の法則であり、物自体がどのようなものであるかについては何も語っていないことにも気づいていました。そこでカントは、従来の形而上学のように、人間の認識能力を超越した物自体を直接認識しようとするのではなく、「認識は対象に適合するのではなく、対象が認識に適合する」という、いわゆる「コペルニクス的転回」によって、認識の枠組みを人間の理性に求めました。

すなわち、カントは、我々が認識できるのは、あくまでも人間の感性と悟性という認識能力によって構成された現象界のみであり、物自体については認識不可能であると主張したのです。

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