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カントの実践理性批判と時間

## カントの実践理性批判と時間

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時間

カントは『純粋理性批判』において、時間を人間の感性の純粋な形式として規定しました。時間それ自体は認識の対象ではなく、むしろ我々が外界の事物を知覚する際の枠組みとなるものです。時間はこのように主観的なものでありながら、あらゆる経験の可能性の条件として、先天的かつ普遍的に成り立ちます。

『実践理性批判』においても、時間は重要な役割を果たします。ただし、ここでは道徳法則との関連において、時間が考察されます。道徳法則は、「汝の意志の格率が、つねに同時に普遍的な立法の原理となるように行為せよ」という定言命法として表されます。この定言命法は、いかなる経験的条件にも依存せず、理性のみから導き出される絶対的な命令です。

定言命法に従うためには、感覚的な欲望や利害を超越し、理性に従って行動しなければなりません。しかし、人間は有限な存在であるため、完全に理性に従って行動することは不可能です。そこでカントは、「最高善」という概念を導入します。最高善とは、道徳的に完全な状態、すなわち徳と幸福が一致した状態を指します。

人間は有限な存在であるがゆえに、この世において最高善を実現することはできません。なぜなら、道徳的な行為と幸福が常に一致するとは限らないからです。そこでカントは、魂の不死と神の存在を仮定します。

魂の不死は、無限の時間をかけて道徳的に完全になろうとする努力を可能にします。また、神の全能は、道徳的な行為と幸福を一致させることを保証します。このように、カントにとって時間は、道徳的な完成を目指す人間の努力を可能にする条件として、重要な意味を持ちます。

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