## カントの判断力批判の仕組み
### Ⅰ. 判断力批判の位置づけ
『純粋理性批判』において理性は、認識対象を apriori に規定する能力であるとされ、感性と悟性という二つの認識能力の働きによって成立する経験的認識をその対象とするのであった。そして理性は、経験的認識の無条件者を追求するという形而上学的考察において、その限界を示された。
『実践理性批判』では、理性は意志の能力であり、行為の法則を与える実践的認識をその対象とするものとして規定され直される。そして理性は、自由という概念の下で道徳法則を確立し、その実現可能性を要請する。
『判断力批判』は、経験的認識の領域と自由の領域、すなわち自然と道徳との間の橋渡しをする。そのためにカントは「判断力」という新たな能力を導入する。判断力とは、個別の特殊なものと一般的な普遍的なものとを媒介する能力である。
### Ⅱ. 判断力の二つの機能
カントは判断力に二つの機能を見出す。一つは**「決定的な判断力」**であり、これはすでに与えられた概念に基づいて個別の対象を認識する機能である。これは「すべてSはPである」「このxはSである」「ゆえに、このxはPである」という三段論法のように、一般的規則を個別の事例に適用する働きである。
もう一つは**「反省的判断力」**であり、これは個別の対象から一般的な規則を見出す機能である。私たちは個々の事物に多様性を見出すが、同時にそこに何らかの統一性を見出そうとする。反省的判断力は、この統一性を、一般的規則という形で与えようとするのである。
### Ⅲ. 美の判断と崇高の判断
反省的判断力は、自然の有機的な形態、つまり生命を持つものの形に、目的論的な合目的性を見出す。これは、あたかもそのようにデザインされたかのような、自然の秩序と調和に対する驚きである。
反省的判断力は、さらに**「美的判断力」**と**「目的論的判断力」**に分けられる。美的判断力は、自然の美と崇高を対象とする。美は、対象の形式の調和から生じる快感を伴う判断であり、崇高は、人間の想像力を超えた巨大さや力強さに対する畏怖や敬意を伴う判断である。
目的論的判断力は、自然の合目的性を対象とする。自然物、特に生物は、あたかも何らかの目的のために存在しているかのように見える。目的論的判断力は、この自然の合目的性を説明しようとするものである。
### Ⅳ. 判断力批判の意義
『判断力批判』は、自然と自由、法則と目的、必然と偶然、理性と感性といった、一見相容れないように見える二つの領域を、判断力という能力によって媒介することで、統一的に理解しようとする試みであると言えるだろう。
カントは、判断力という人間の根本的な能力に光を当てることで、人間存在の根本問題、すなわち世界における人間の位置づけ、認識と行為の統一、美と道徳の根拠などを明らかにしようと試みたのである。
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