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カッシーラーのシンボル形式の哲学の思想的背景

## カッシーラーのシンボル形式の哲学の思想的背景

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新カント主義

カッシーラーの哲学は、19世紀後半から20世紀初頭にかけてドイツで興隆した新カント主義の強い影響下で形成されました。新カント主義は、ヘーゲル哲学の隆盛や自然科学の発展などを背景に、カント哲学を現代的に再生しようとする試みです。カッシーラーは、特にマールブルク学派と呼ばれる新カント主義の一派に属するヘルマン・コーヘンやパウル・ナトルプから大きな影響を受けました。

マールブルク学派は、カントの認識論の中でも超越論的論理学に注目し、人間の認識における「思考の働き」や「カテゴリー」の役割を重視しました。彼らは、自然科学もまた、このような人間の思考の形式やカテゴリーによって構成されると考えました。

カッシーラーは、マールブルク学派のこのような思想を継承し、人間は感覚を通して世界を直接的に認識するのではなく、「シンボル」と呼ばれる媒介を通して世界を認識すると主張しました。彼は、言語、神話、芸術、宗教、科学など、人間の文化を構成するあらゆる要素をシンボルとして捉え、人間はシンボルを創造し、解釈することによって世界を理解し、意味を与えていると考えました。

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文化科学と自然科学の対立

カッシーラーの思想は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて深まっていた文化科学と自然科学の対立を背景にも理解することができます。当時のドイツでは、自然科学がめざましい発展を遂げ、客観的な知識としての地位を確立する一方、歴史や文学、芸術などを扱う文化科学は、その学問としての方法や客観性を疑問視されていました。

このような状況の中で、ヴィルヘルム・ディルタイやハインリヒ・リッカートらによって提唱された「生命哲学」や「精神科学」は、自然科学的方法の限界を指摘し、人間の文化や歴史、精神を理解するためには、自然科学とは異なる方法が必要であると主張しました。

カッシーラーもまた、自然科学の方法のみでは人間の文化や精神を十分に理解することはできないと考えました。彼は、自然科学は「法則的説明」を目指すのに対し、文化科学は「個性的理解」を目指すと考え、両者は異なる方法と目的をもつとしました。そして、文化科学の対象である人間の文化や精神を理解するためには、「シンボル」という概念が不可欠であると考えたのです。

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現象学の影響

カッシーラーは、エドムント・フッサールが提唱した現象学からも影響を受けています。現象学は、意識の構造を記述することを通して、人間の経験や認識の根源を明らかにしようとする哲学です。フッサールは、「志向性」という概念を用いて、意識は常に何かに「向けられている」ことを強調し、意識と対象との関係を重視しました。

カッシーラーは、フッサールのこのような思想に共感し、人間の認識は常に「シンボル」という媒介を通して行われると主張しました。彼は、シンボルを通して人間の意識と世界が結びつき、意味が生成されると考えました。

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