カエサルのガリア戦記を読む前に
古代ローマについて
カエサルが生きていた時代は、共和政ローマと呼ばれる時代です。共和政とは、王ではなく、市民が選挙で選んだ代表者が政治を行う制度のことです。ローマは、この共和政のもとで、イタリア半島のみならず、地中海世界全体に勢力を広げていきました。
共和政ローマでは、政治・軍事・社会のあらゆる面で、貴族(パトリキ)が平民(プレブス)を支配していました。しかし、紀元前5世紀頃から、平民は貴族に対して、政治 participationの拡大を求めるようになりました。この平民の政治運動は、長い年月を経て、徐々に成果をあげていきます。
紀元前2世紀後半になると、ローマは、地中海世界の大部分を支配するようになります。しかし、領土の拡大は、ローマ社会に様々な問題を引き起こしました。例えば、属州から大量の奴隷が流入したことで、失業した平民が増加し、社会不安が高まりました。
カエサルについて
ガイウス・ユリウス・カエサルは、紀元前100年に、ローマの貴族の家系に生まれました。彼は、若い頃から、政治家としての才能を示し、紀元前63年には、最高神祇官に選出されます。その後、カエサルは、ポンペイウス、クラッススと第一回三頭政治を結成し、ローマで大きな権力を握りました。
カエサルは、ガリア戦争で、優れた軍事の才能を発揮し、ガリア全土をローマの支配下に置きました。この勝利によって、カエサルは、ローマで絶大な人気を獲得しましたが、同時に、元老院議員の一部から、その強大な権力を警戒されるようになりました。
紀元前49年、カエサルは、ルビコン川を渡ってイタリアに侵入し、ポンペイウスらと内戦を開始しました。そして、紀元前45年、ムンダの戦いで勝利を収め、ローマ世界の単独支配者となりました。しかし、その独裁的な政治は、元老院議員の反感を買い、紀元前44年、暗殺されました。
ガリア戦争について
ガリア戦争は、紀元前58年から紀元前50年にかけて、カエサル率いるローマ軍と、ウェルキンゲトリクス率いるガリア人との間で行われた戦争です。カエサルはこの戦争で、優れた戦略と戦術を駆使し、ガリア全土をローマの支配下に置きました。
ガリア戦争は、ローマの歴史にとって、重要な転換点となりました。この戦争によって、ローマは、現在のフランスにあたる地域を征服し、その勢力をさらに拡大しました。また、カエサルは、この戦争で得た名声と権力を背景に、ローマの政治に大きな影響力を持つようになりました。
ガリア戦記は、カエサル自身が、ガリア戦争の経過を記した記録です。この書物は、カエサルの優れた文才と、巧みな自己宣伝によって書かれており、古代ローマの歴史を知る上で、貴重な資料となっています。