オースターの「レヴァイアサン」と言語
語りと言語の不確かさ
「レヴァイアサン」は、語り手であるベンジャミン・サックスが、親友の作家、トーマス・エフイングの謎の死の真相を探ろうとする物語です。オースターは、作中でベンジャミンに、断片的な情報や憶測に基づいて物語を再構成させます。
例えば、エフイングの死の真相や、彼が巻き込まれていたテロ行為、そして彼の恋人であるリア・ルボウスキーの行動など、多くの部分が曖昧なまま残されます。ベンジャミン自身も、自分の解釈が正しいのか、物語を完全に理解できているのか、疑問を抱いています。
言葉の限界と沈黙
作中で、エフイングは「言葉のテロ」という概念に傾倒し、言語そのものが暴力を孕んでいると主張します。彼の過激な行為は、言葉では表現できない怒りやフラストレーションを体現しているとも言えます。
また、エフイングの遺した小説やメモ、手紙などは、彼の内面を完全に理解するための手がかりとなるどころか、更なる謎を提示します。これは、言葉が持つ限界と、真のコミュニケーションの難しさを示唆していると考えられます。
アイデンティティと言語
作中の登場人物たちは、名前や肩書き、過去の経験など、言葉によって規定されるアイデンティティに縛られています。
例えば、リアは偽名を使い分け、自分の過去を隠しながら生きています。エフイングもまた、作家としての名声や、社会が彼に押し付けるイメージに苦悩しています。オースターは、言葉がアイデンティティを形成する一方で、その枠組みに囚われることへの危険性を示唆していると言えるでしょう。