オットーの聖なるものの選択
槍について
槍に関する確実な情報は非常に限られています。歴史的資料や文献において、オットー1世が実際に所持していたとされる槍に関する記述は断片的で、その信憑性についても議論が分かれています。
一部の歴史家は、オットー1世が955年のレヒフェルトの戦いで使用した槍が、後に「聖槍」として神聖ローマ帝国の重要なレガリアとなった可能性を指摘しています。しかし、この説を裏付ける決定的な証拠は存在せず、聖槍の起源については謎が多く残されています。
戴冠式の剣について
オットー1世の戴冠式の剣は、現存する実物から多くの情報を得ることができます。この剣は、現在ウィーンのホーフブルク宮殿に保管されており、その豪華な装飾と精巧な作りから、10世紀の傑作とされています。
剣の柄には、聖なるものと関連付けられる図像や装飾が施されています。例えば、柄頭には聖母マリアと幼子イエスの姿が、また柄には聖人と天使の姿が刻まれています。これらの装飾は、剣が単なる武器ではなく、王権の象徴、そして神の恩寵を受けた存在であることを示しています。
王権の象徴としての選択
オットー1世は、槍と剣のどちらを選択したにせよ、それが単なる武器ではなく、自らの王権を象徴する重要なアイテムとなることを理解していました。彼は、自らの支配を正当化し、民衆に受け入れられるためには、神聖な権威を象徴するアイテムが必要であったと考えられます。
槍と剣はどちらも、伝統的に王権と結びつけられてきたアイテムです。槍は勝利と軍事的力を、剣は正義と秩序を象徴するものとされてきました。オットー1世は、これらの象徴性を巧みに利用することで、自らの権力を強化しようとしたのでしょう。