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オットーの聖なるものの表象

## オットーの聖なるものの表象

ヌミノーゼ体験

ルドルフ・オットーは、著書『聖なるもの』の中で、人間の宗教経験の根底にある「聖なるもの」(das Heilige)という概念を、理性や道徳の範疇を超えた、全く独自の感情的なカテゴリーとして提示しました。彼は、聖なるものを直接的に表現する言葉を持たないことから、「ヌミノーゼ」という造語を用いて、その体験的内容を分析しました。

オットーによれば、ヌミノーゼ体験は、畏怖(tremendum)、驚異、圧倒される感覚といった要素を含む、複合的な感情体験として特徴付けられます。

* **畏怖(tremendum):** これは、聖なるものの圧倒的な力や壮大さの前に、人間が感じる根本的な恐怖や畏怖の感情です。自己保存の本能に根ざした感情であり、聖なるものの前における人間の無力さを痛感させます。
* **驚異:** 畏怖と同時に、聖なるものは人間に魅惑的な魅力を与え、心を奪います。この魅力は、人間の理解を超えた、神秘的で不可思議な力に対する驚異の感情を生み出します。
* **圧倒される感覚:** 畏怖と驚異が組み合わさることで、人間は聖なるものの前に打ちのめされ、圧倒されます。この感覚は、自己の小ささと、聖なるものの壮大さとの間の絶対的な隔たりを認識させるものです。

聖なるものの両義性

オットーは、聖なるものが持つ二面性を、「畏怖すべきもの」(mysterium tremendum)と「魅惑するもの」(mysterium fascinans)という言葉で表現しました。

* **畏怖すべきもの:** 聖なるものは、その圧倒的な力と超越性によって、人間に恐怖や畏怖の感情を抱かせます。それは、人間の理性や道徳を超越した、不可知で不可解な存在として、私たちを不安に陥れる側面です。
* **魅惑するもの:** 一方で、聖なるものは、人間を惹きつけ、魅了する側面も持ち合わせています。それは、人間の理解を超えた美しさ、崇高さ、愛、慈悲といった、肯定的な感情を引き起こす力として現れます。

このように、聖なるものは相反する二つの側面を同時に持ち合わせており、人間は畏怖と魅力の狭間で揺り動かされる存在であると言えます。

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