## オットーの聖なるものからの学び
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聖なるものの非合理的(ヌミノーゼ)な側面
ルドルフ・オットーの主著『聖なるもの』において、彼は聖なるものを、我々人間の理性や道徳観念を超越した、根本的に異質な力として捉えました。
オットーはこの力を「ヌミノーゼ」と呼び、畏怖、畏怖、魅了、そして圧倒的な力の感覚という、複雑な感情体験を引き起こすとしました。
ヌミノーゼは、善悪の彼岸にあり、道徳的に善であるとは限りません。
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ヌミノーゼの構成要素
オットーはヌミノーゼを構成する要素として、以下の3つを挙げました。
* **mysterium tremendum(畏怖すべき神秘):**
聖なるものは、根本的に不可知で、神秘的な存在であり、人間はそれに触れることで、自らの無知と有限性を痛感させられ、畏怖の念を抱きます。
この畏怖は、単なる恐怖とは異なり、聖なるものの壮大さ、力強さの前に、自らを無力と感じながらも、同時に惹きつけられる感覚を伴います。
* **majestas(威厳):**
聖なるものは、圧倒的な力と権威を備えた存在であり、人間はそれに従属せざるを得ません。
この感覚は、単なる服従ではなく、聖なるものの偉大さに対する、畏敬の念を伴います。
* **energeticum(力強さ):**
聖なるものは、生きた力強いエネルギーに満ち溢れており、人間に様々な影響を与えます。
この力は、創造、破壊、治癒、啓示など、多様な形で現れ、人間はそれに圧倒され、同時に魅了されます。
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聖なるものの表象
オットーは、人間がヌミノーゼを表現しようとするとき、理性的な概念ではなく、象徴や比喩を用いると指摘しました。
彼は、聖なるものの体験は、言葉で表現するにはあまりにも強烈で、非合理的であるため、音楽、美術、建築、儀式などの非理性的な手段を通じて表現されると考えました。
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聖なるものの体験と宗教
オットーは、聖なるものの体験が、宗教の根源的な要素であると考えました。
彼は、宗教は、聖なるものとの出会いを、教義、儀式、倫理などを通じて、体系化し、社会化したものと捉えました。