エンデのはてしない物語と言語
ファンタージエンの言語と現実世界の言語の関係性
ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」では、現実世界とファンタージエンというおとぎ話の世界が対比して描かれています。この二つの世界は、それぞれ異なる言語体系を持っていることが示唆されています。現実世界の言語は明確に定義されていませんが、我々読者が使用する言語と同様のものと考えられます。一方、ファンタージエンの言語は、現実世界の言語とは異なる法則に基づいていることが作中で示唆されています。
例えば、ファンタージエンの住民の名前は、その人物の性質や役割を象徴的に表しています。これは、ファンタージエンの言語が、物事の本質を直接的に反映する力を持っていることを示唆しています。また、作中には「古い言葉」や「沈黙の谷」といった、言語の神秘的な側面を強調する描写が散見されます。
物語における「語ること」の重要性
「はてしない物語」では、「語ること」自体が重要なテーマの一つとして描かれています。物語の冒頭でバスチアンが古書店で出会う老人カール・コンラート・コレーアンダーは、本を読むことは「他の誰かの人生を生きる」ことだと語ります。
また、物語のクライマックスで、バスチアンは「月の子供」に新しい名前を与えるように求められます。この時、バスチアンが自分の願いを言葉にすることで、ファンタージエンは滅亡の危機から救われます。このように、「はてしない物語」では、言葉が世界を創造し、変革させる力を持っていることが強調されています。
沈黙と想像力の関係性
「はてしない物語」では、「沈黙」も重要なモチーフとして描かれています。例えば、「沈黙の谷」は、あらゆる音が消え、言葉が通じない場所として描かれています。この谷を訪れたものは、自分の内面と向き合い、言葉を超えた真実を見出すことができるとされています。
また、物語の後半でバスチアンは、望みを叶え続けることで想像力を失い、自分自身を見失ってしまいます。この時、バスチアンは言葉を発することもできなくなり、沈黙の中に閉じ込められてしまいます。このように、「はてしない物語」では、沈黙は想像力の源泉であると同時に、想像力を失った人間の末路として描かれているとも言えます。