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エンゲルスの空想から科学への光と影

エンゲルスの空想から科学への光と影

エンゲルスの「自然の弁証法」の位置づけ

フリードリヒ・エンゲルスの主著として知られる『自然の弁証法』は、1873年から1883年にかけて執筆されたものの、エンゲルスの生前には出版されず、1925年にソ連で初めて公刊されました。そのため、マルクスの資本論のように、マルクス主義の理論的支柱として広く読まれてきたわけではありません。しかし、自然科学と社会科学を総合的に理解しようとする壮大な試みは、後の科学論や歴史学に大きな影響を与えました。

「光」:先見性と学際的な視点

エンゲルスの『自然の弁証法』における「光」として評価できる点は、19世紀後半の段階で、自然科学におけるいくつかの重要な発展を予見していたことです。
例えば、エネルギー保存の法則の発見や、ダーウィンの進化論を高く評価し、自然界における歴史的な発展の概念を導入しました。これは、当時の機械論的な自然観を超え、自然を動的な過程として捉える先駆的な視点でした。
また、自然科学と社会科学を統合的に理解しようとする学際的な視点は、現代の学問においても重要な意義を持ちます。 特に、環境問題や技術倫理など、自然科学と社会科学が複雑に絡み合った問題を解決するためには、エンゲルスの示唆は重要な示唆を与えていると言えるでしょう。

「影」:時代的な限界と科学主義

一方で、「影」として批判される点も存在します。エンゲルスの自然科学に関する知識は、必ずしも当時の最新の学問水準に達していたとは言えません。
例えば、自然淘汰説を十分に理解しないまま進化論を論じたことや、当時の物理学の知見では証明できなかった「エネルギー転化の法則」を断定的に主張したことは、科学的な厳密さを欠いていたと言わざるを得ません。
また、弁証法を自然科学に適用しようとするあまり、科学主義に陥っているという指摘もあります。弁証法を自然現象にそのまま適用することで、科学的な法則を導き出せると考えたことは、科学的な方法論とは相容れない部分も含まれていました。

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