エルンスト・カッシーラーのシンボル形式の哲学に影響を与えた本
ヘルマン・ヘルムホルツ著「音の感覚論:音響の生理学的基礎としての音楽理論への貢献」
エルンスト・カッシーラーは20世紀の重要な哲学者の一人であり、その業績は認識論、美学、歴史の哲学など多岐にわたります。彼が提唱した最も影響力のある概念の一つに「シンボル形式」があります。これは、人間が世界を理解し、それと相互作用する際に使用する多様な感覚的、文化的、知的構造を指します。カッシーラーは、言語、神話、芸術、科学といったシンボル形式を通じて、人間は混沌とした感覚的経験を秩序づけ、意味を付与していくのだと考えました。
カッシーラーのシンボル形式の哲学の形成に大きな影響を与えた書物の一つに、ドイツの生理学者ヘルマン・ヘルムホルツの著した「音の感覚論:音響の生理学的基礎としての音楽理論への貢献」(1863年) が挙げられます。この書は、音響学、生理学、心理学の分野における画期的な業績であり、人間の聴覚のメカニズムを解明し、音楽の知覚におけるその役割を明らかにしました。ヘルムホルツは、音の高低、音色、音量といった音楽的性質は、内耳にある聴覚器官の特定の神経繊維の振動パターンに対応すると主張しました。彼は、これらの神経生理学的なプロセスは、人間の意識に直接アクセスできるものではなく、物理的および生理学的法則に支配されていると論じました。
カッシーラーはヘルムホルツの研究に深い感銘を受け、特に人間が世界を経験する方法における生理学的プロセスと感覚的知覚の重要性を強調した点に共鳴しました。カッシーラーはヘルムホルツの研究を足がかりに、人間の経験は受動的に外界を写し取るものではなく、むしろ能動的に意味を構築していくプロセスであるという独自の認識論を展開しました。カッシーラーは、人間が世界を理解するために用いるシンボル形式は、ヘルムホルツが明らかにしたような生理学的基盤を持つと同時に、文化的、歴史的な影響も強く受けていると考えました。
「音の感覚論」の影響は、カッシーラーの初期の著作である「認識問題におけるシンボル形式の哲学」(1923-1929) に特に顕著に現れています。この書の中でカッシーラーは、ヘルムホルツの研究を引き合いに出しながら、人間の知覚は感覚器官という「生理学的フィルター」を通じてもたらされるものであり、そのフィルターは私たちの経験を形作っていると論じています。彼は、ヘルムホルツと同様に、人間の知覚は単なる受動的なプロセスではなく、能動的な構成の行為であると主張しました。私たちは感覚データを受け取るだけでなく、それを組織化し、解釈し、意味を与え、その過程でシンボル形式を用いているのです。