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エリアーデの聖と俗の思索

## エリアーデの聖と俗の思索

聖と俗の対立

ミルチャ・エリアーデは、その主著『聖と俗』において、宗教現象を理解する上で**聖なるもの**と**俗なるもの**の対立が根本的な重要性を持つことを主張しました。彼によれば、伝統的な社会に生きる人間にとって、世界は均質なものとしてではなく、**聖なる空間**と**俗なる空間**とに質的に区別されて経験されます。

聖なる空間の顕現

エリアーデは、聖なるものが俗なる世界のなかに **「顕現」 (ヒエロファニー)** することによって、聖なる空間が成立すると考えました。 原初の混沌とした状態から秩序あるコスモスが生み出されたという宇宙創造神話における出来事のように、聖なる力は特定の場所、時間、そして事物に宿ると考えられています。

例えば、オーストラリアの先住民アボリジニにとって重要な意味を持つ**ウルル(エアーズロック)**は、彼らの神話における創造神話の舞台となった聖地であり、聖なる力が顕現した場所として崇拝されています。

聖なる空間の特徴

聖なる空間は、俗なる空間とは異なり、以下のような特徴を持ちます。

* **超越性:** 聖なる空間は、日常的な経験を超えた超越的なリアリティと結びついています。
* **力:** 聖なる空間には、人々に恩恵をもたらしたり、逆に災厄をもたらしたりする力があると信じられています。
* **秩序:** 聖なる空間は、混沌とした俗なる世界に対して、秩序と意味をもたらす中心的な役割を果たします。

象徴と儀礼

エリアーデは、聖なるものと俗なるものの関係は、**象徴**と**儀礼**を通して表現され、維持されると考えました。象徴は、聖なるものの力を可視化し、人々に認識可能なものにする役割を担います。

例えば、十字架はキリスト教において、キリストの受難と救済を象徴するものであり、信者にとっては聖なる力を媒介するものとして機能します。

儀礼による聖なるものの再現

儀礼は、神話や聖なる出来事を象徴的に再現することによって、聖なる力を現在に呼び戻し、人々にその恩恵を享受させる行為です。

例えば、ミサなどの宗教儀式は、聖なる出来事の追体験を通して、信者を聖なるものと結びつけ、精神的な再生をもたらすと考えられています。

現代社会における聖と俗

エリアーデは、近代化が進むにつれて、聖なるものの領域は縮小し、俗なるものが優位を占めてきたと指摘しました。しかし、彼は完全に聖なるものが消滅したわけではなく、現代社会においても様々な形で存続していると主張しました。

例えば、スポーツの試合やコンサートなどのイベントは、非宗教的な文脈においても、人々に共通の価値観や高揚感をもたらすという意味で、聖なる空間の現代における一形態として解釈することができます。

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