## エリアーデの聖と俗のメカニズム
###
聖なるものの顕現
エリアーデによれば、聖なるものは、非日常的なもの、異質なものである「聖なる力」 (マナ) として、日常的な世界である「俗」の中に突如として姿を現します。この時、俗なる空間や事物の中に、聖なる空間や事物が「顕現」 (ヒエロファニー) するのです。
例えば、それまで何の変哲もない場所だったとしても、そこに神が降臨したという伝承が生まれたり、聖なる人物が訪れたという歴史的事実が伴ったりすることで、その場所は聖なる場所としての意味を持つようになります。
また、自然物も聖なるものの顕現の場となりえます。岩、木、泉など、自然の中に存在する特定の事物に対して、神聖視が行われることで、それらは聖なるものとしての意味を帯び始めるのです。
###
聖と俗の分離
聖なるものが顕現すると、そこはもはや従来のような俗なる空間ではなく、異質な空間、すなわち聖なる空間へと変容します。
エリアーデは、このような聖なる空間と俗なる空間の分離を明確に示しています。彼は、聖なる空間を「コスモス」(秩序)、俗なる空間を「カオス」(混沌)と対比的に捉え、聖なる空間への参入は、カオス的な俗なる空間からの脱却を意味するとしました。
###
聖なる空間への参入
俗なる空間から聖なる空間への参入は、単なる物理的な移動を意味するものではありません。そこには、象徴的な死と再生の儀礼が伴います。
例えば、聖地への巡礼において、巡礼者は俗なる世界を離れ、厳しい道のりを経て聖地にたどり着きます。これは、俗なる自己を捨て去り、聖なる空間への参入にふさわしい、新たな自己を獲得するプロセスと解釈できます。
###
聖なるものの模倣
人間は、聖なるものと接触することで、その力を分け与えられると信じられてきました。そして、聖なる力を獲得するために、聖なるものを模倣する様々な行為が行われてきました。
祭祀や儀礼は、神話の出来事や聖なる人物の行為を再現することで、聖なる力を獲得しようとする試みです。また、寺院建築などの宗教芸術も、聖なる空間を模倣することで、聖なる力を現世に現出させようとする試みとして解釈できます。
これらの模倣行為を通して、人間は聖なるものにあずかり、再生を体験するとエリアーデは述べています。
Amazonで詳細を見る
読書意欲が高いうちに読むと理解度が高まります。