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イプセンのジョン・ガブリエル・ボーコマンから学ぶ時代性

## イプセンのジョン・ガブリエル・ボーコマンから学ぶ時代性

1. 個人の野望と社会の進歩

 イプセンの戯曲『ジョン・ガブリエル・ボーコマン』は、かつて銀行頭取を務め、不正融資の罪で投獄された過去を持つ男、ボーコマンを描いています。彼は社会復帰を果たせないまま、長年自宅に引きこもり、いつか訪れる「勝利の日」を夢見ています。

 彼の野望は、鉱山開発によって人類に幸福をもたらすという壮大なものでした。しかし、その実現のためには手段を選ばない冷酷さがあり、それが不正融資という罪に繋がり、多くの人々を不幸に陥れる結果となりました。

 ボーコマンの物語は、19世紀後半から20世紀初頭にかけての資本主義の急速な発展と、それに伴う社会問題を反映しています。個人の野心と社会の進歩は、常に一致するとは限りません。むしろ、個人の欲望が肥大化し、社会全体の利益を損なう危険性を孕んでいることを、イプセンはボーコマンを通して描いています。

2. 女性の抑圧と解放への希求

 ボーコマンの妻、グンヒルドと、かつての恋人であり、ボーコマンを裏切って彼の親友と結婚したエラは、ともに男性社会に抑圧された女性の姿を体現しています。

 グンヒルドは、夫の罪によって社会的地位を失い、息子の将来に希望を託すことしかできません。エラは、愛する息子をボーコマンに奪われた過去を引きずりながらも、彼への愛情を捨てきれません。

 彼女たちの苦悩は、当時の女性が置かれていた社会状況を反映しています。男性中心の社会において、女性は家庭に閉じ込められ、自分の意志で人生を選択する自由を与えられていませんでした。しかし、イプセンは女性たちの内面に、抑圧からの解放を求める強い意志を描いています。グンヒルドは息子と共に家を出ていき、エラはボーコマンの死を見届けた後、自らの意思で未来へ進んでいきます。

3. 世代間の断絶と和解の可能性

 ボーコマンには、エラとの間にエルハルトという息子がいます。エルハルトは、両親の過去の確執に巻き込まれながらも、自らの幸せを追求しようとします。彼は、ボーコマンの野望にも、エラの愛情にも縛られることなく、若い恋人と一緒に未来へ旅立ちます。

 エルハルトの姿は、古い価値観に縛られた親世代と、新しい時代を切り開こうとする子世代との断絶を象徴しています。ボーコマンとエラは、過去の罪と愛憎に囚われ、未来へ進むことができません。しかし、エルハルトは、彼らの過ちを繰り返すことなく、希望に満ちた未来を目指します。

 イプセンは、世代間の断絶を冷徹に描きながらも、同時に和解の可能性を提示しています。エルハルトは、両親の愛憎劇から教訓を学び、未来へと進んでいきます。それは、過去を乗り越えて、新しい時代を築き上げていくことの重要性を示唆していると言えるでしょう。

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