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イシグロの遠い山なみの光と人間

## イシグロの遠い山なみの光と人間

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記憶と回想

「遠い山なみの光」は、過去の出来事を回想する一人称視点で語られる物語です。主人公の悦子は、イギリスで再婚生活を送る日本人女性で、長崎の原爆投下から間もない時期の自身の経験と、当時の隣人である佐知子とその娘景子の運命を回想します。しかし、小説全体を通して、悦子の記憶は曖昧で断片的であり、読者は彼女の回想の正確さについて疑問を抱くことになります。

例えば、小説の冒頭で、悦子は娘のニッキーが婚約者を連れてくることを楽しみにしていると語りますが、物語が進むにつれて、ニッキーの存在自体が曖昧になっていきます。また、悦子は佐知子と景子の運命について語る際に、自身の記憶と娘の景子に対する感情が複雑に絡み合い、真実を客観的に捉えることを困難にしています。

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喪失と郷愁

戦争と異文化での生活という経験を通して、登場人物たちは様々な形の喪失と向き合います。悦子は原爆で故郷と家族を失い、イギリスでの生活では文化的な違いや言語の壁に直面します。また、佐知子は戦争で夫を亡くし、娘の景子と共に厳しい生活を送っています。

小説では、喪失感が直接的に表現されることは少なく、むしろ登場人物たちの会話や行動の端々に滲み出ている点が特徴的です。例えば、悦子はイギリスの風景の中に日本の面影を見出そうとしたり、娘のニッキーに日本の文化を伝えようとしたりしますが、どこかぎこちなさを感じさせます。

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コミュニケーションの不可能性

「遠い山なみの光」では、登場人物たちの間には常にコミュニケーションの断絶が存在します。言葉の壁、文化の違い、そして記憶の曖昧さが、真の理解を阻む要因として描かれています。

例えば、悦子とイギリス人の夫との間には、言葉だけでなく文化的な価値観の違いからくる溝が存在します。また、悦子と佐知子の間にも、戦争体験に対する微妙な温度差や、互いの置かれた立場に対する理解の不足が見られます。

小説の終盤、悦子は長崎で佐知子の兄と再会しますが、そこでも過去の出来事に関する真実を共有することはできません。このように、登場人物たちは最後まで真のコミュニケーションを取ることができず、孤独と諦念を抱えたまま物語は幕を閉じます。

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