## イシグロの忘れられた巨人が扱う社会問題
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記憶と歴史
イシグロの『忘れられた巨人』は、表面上はファンタジー小説として描かれていますが、その根底には、**記憶と歴史**という複雑な問題が横たわっています。作中で描かれる霧は、人々の記憶を奪い、過去を曖昧にする象徴的な存在です。霧が晴れるにつれて、登場人物たちは過去の残酷な出来事や、自分たちの犯した罪と向き合わざるを得なくなります。これは、個人レベルだけでなく、共同体や国家レベルにおいても重要なテーマとして描かれています。
作中のブリトン人とサクソン人の対立は、歴史的な民族対立を想起させます。両者は過去の出来事をめぐり、憎しみや不信感を抱き続けています。しかし、霧が晴れるにつれて、過去の真実が明らかになるにつれ、単純な善悪二元論では割り切れない歴史の複雑さが浮き彫りになっていきます。
イシグロは、記憶と歴史が、いかに現在の私たちを規定しているかを問いかけています。過去を忘却することは、時に癒しや和解をもたらすこともありますが、同時に、過去の過ちから学ぶ機会を失い、同じ過ちを繰り返す可能性も孕んでいます。
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愛と憎しみ、許しと復讐
『忘れられた巨人』は、**愛と憎しみ、許しと復讐**という普遍的なテーマにも深く切り込んでいます。作中の登場人物たちは、愛する者を守るため、あるいは過去の恨みを晴らすために、様々な選択を迫られます。
主人公の老夫婦、アクセルとベアトリスは、互いを深く愛し合っていますが、記憶の霧によって、彼らの過去の真実もまた曖昧になっています。彼らが旅の途中で直面する試練は、彼らの愛と絆を揺るがすものであり、読者は、愛と憎しみの狭間で葛藤する彼らの姿に、人間の心の奥底にある複雑な感情を見せつけられます。
また、作中には、復讐心に駆られるあまり、道を踏み外してしまう登場人物も登場します。イシグロは、復讐が新たな憎しみを生み、連鎖していく様を描き出すことで、真の許しとは何かを問いかけています。憎しみの連鎖を断ち切り、真の和解に至るためには、何が必要なのでしょうか。
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個人の責任と集団の罪
イシグロは、**個人の責任と集団の罪**という難しい問題にも踏み込んでいます。作中で描かれる霧は、過去の過ちを忘れたいという人々の心の弱さの象徴として解釈することもできます。
過去の出来事に対する責任を個人がどこまで負うべきなのか、また、集団として犯した罪をどのように償っていくべきなのか、明確な答えのない問いが突きつけられます。
イシグロは、「忘れられた巨人」を通じて、読者一人ひとりに、歴史と記憶、そして個人と集団の責任について、深く考えさせるような問題提起を行っています。