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イシグロの『わたしたちが孤児だったころ』と言語

## イシグロの『わたしたちが孤児だったころ』と言語

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記憶と言語の不確かさ

イシグロの作品において、記憶の不確かさは主要なテーマの一つとして繰り返し描かれます。『わたしたちが孤児だったころ』の主人公バンクスの語る過去もまた、断片的で曖昧なものであり、読者はそれを手掛かりに物語を再構築していくことになります。

バンクスは幼少期の記憶を辿る過程で、両親の失踪事件の真相に迫ろうとしますが、彼の記憶は断片化され、時系列も曖昧です。彼は、大人になっていくにつれて、子供時代の記憶がいかに不確かで、自己中心的であったかを認識していきます。

このような記憶の不確かさは、作中で用いられる言語にも反映されています。バンクスは、過去の出来事を回想する際に、しばしば「多分」「~だったような気がする」「~だったかもしれない」といった曖昧な表現を用います。

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沈黙と語られざる真実

イシグロの作品では、しばしば沈黙が重要な意味を持ちます。『わたしたちが孤児だったころ』においても、登場人物たちの沈黙は、語られざる真実や感情、過去のトラウマなどを暗示しています。

バンクスの両親は、彼が幼い頃に上海で謎の失踪を遂げます。バンクスは、両親の失踪の真相を明らかにしようとしますが、関係者たちは皆、何かを隠しているかのように沈黙を守るか、曖昧な言葉でしか語ろうとしません。

このような沈黙は、バンクスに両親の失踪に関する真実を突き止めることを困難にさせるだけでなく、彼自身のアイデンティティや過去に対する認識を揺るがす要因ともなります。

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東洋と西洋の文化的差異と言語

『わたしたちが孤児だったころ』は、1930年代の上海とイギリスを舞台としており、東洋と西洋の文化的差異が、登場人物たちの関係性やコミュニケーションに影響を与えています。

作中では、英語と中国語という異なる言語が用いられていますが、言語の壁は単なるコミュニケーションの障害として描かれているだけではありません。

たとえば、バンクスは、中国人の友人であるアキラと英語で会話しますが、アキラはバンクスの文化的背景や価値観を完全に理解することはできません。

このような文化的差異は、登場人物たちの間の誤解や葛藤を生み出す要因となり、バンクスが両親の失踪の真相に迫ることをより困難にしています。

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