## アリストテレスの詩学に関連する歴史上の事件
ルネサンス期における「詩学」の再発見
アリストテレスの『詩学』は古代ギリシャにおいて書かれたものの、その後長い間、西洋世界においては忘れ去られた存在でした。しかし、15世紀に入ると、東ローマ帝国の崩壊に伴い、ビザンツ帝国の学者たちが古典古代の文献を携えてイタリアへと亡命してきました。この中にはアリストテレスの著作も含まれており、フィレンツェを中心とした人文主義者たちの間で再び日の目を見ることになりました。
古典劇の復興と展開
『詩学』は、悲劇を「筋による浄化」を通じて人間の感情を浄化する効果を持つものと定義しており、その構成要素や効果について詳細に論じています。ルネサンス期の学者や芸術家たちは、『詩学』を古代ギリシャ悲劇の理論的支柱として捉え、その教訓を自らの創作活動に積極的に取り入れました。
三単一の法則への解釈と論争
『詩学』の一節に、劇の構成に関する記述として「時間の単一性」に触れた部分があります。この部分に着目したイタリア・ルネサンス期の学者たちは、アリストテレスが「時間」だけでなく、「場所」と「筋」についても単一性を求めていたと解釈し、「三単一の法則」と呼ばれる演劇の規範を提唱しました。
フランス古典主義演劇への影響
「三単一の法則」は、17世紀フランス古典主義演劇において重要な規範として厳格に守られました。ピエール・コルネイユやジャン・ラシーヌといった劇作家たちは、アリストテレスの理論に基づくと解釈されたこの法則に従い、時間、場所、筋の一貫性を重視した作品を多く生み出しました。
ロマン主義における反発と再解釈
18世紀後半に入ると、フランス古典主義に対する反動としてロマン主義運動が興りました。感情や個性の解放を重視するロマン主義者たちは、「三単一の法則」をはじめとする古典主義の厳格な規則に反発し、より自由で情熱的な表現を求めました。
19世紀以降の文学理論への影響
19世紀以降も、『詩学』は西洋の文学理論に大きな影響を与え続けました。特に、フリードリヒ・ニーチェやフェルディナン・ド・ソシュールといった思想家たちは、アリストテレスの思想を批判的に継承しつつも、独自の文学理論を構築していきました。