アリストテレスのニコマコス倫理学の表象
表象:エネルゲイアとしての幸福
アリストテレスの倫理学の中心概念である「エウダイモニア」は、一般に「幸福」と訳されますが、単なる感情や一時的な状態ではなく、人間の活動や能力の「優れた実現」を意味します。アリストテレスは、人間にとって最高の善であり、それ自体が目的となるのは、魂の能力に従って生きる「 energeia(活動)」であると主張しました。
表象:徳としての卓越性
倫理的な観点から、この energeia は「arete(徳)」と密接に関係しています。アリストテレスは、徳を、理性に従って行動する能力、つまり人間の魂の理性的な部分の卓越性と定義しました。徳は、知性的な徳(知恵、判断力など)と倫理的な徳(勇気、節制、正義など)の二つに大別されます。
表象:中庸としての徳
倫理的な徳は、感情や行動における「中庸」を見出すことによって達成されるとアリストテレスは主張しました。中庸とは、過剰と不足の両極端の中間に位置する適切な状態を指します。例えば、勇気は、臆病(不足)と無謀(過剰)の中庸です。重要なのは、この中庸が客観的なものではなく、個々人や状況によって異なる相対的なものであるということです。
表象:習慣と熟練としての徳
アリストテレスは、徳は生まれつき備わっているものではなく、反復的な実践と習慣を通して獲得されると考えました。ちょうど harp の演奏家が練習を通して技術を磨くように、倫理的な行動を繰り返すことによって、私たちは徳を身につけることができます。
表象:理性と実践知としての賢慮
倫理的な徳を培う上で重要な役割を果たすのが、「phronesis(賢慮)」と呼ばれる知性的な徳です。賢慮とは、具体的な状況において、適切な判断を下し、正しい行動を選択する能力を指します。アリストテレスは、賢慮を実践的な知恵とみなし、倫理的な行動の指針となるものと位置づけました。