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アウグスティヌスの告白を深く理解するための背景知識

## アウグスティヌスの告白を深く理解するための背景知識

アウグスティヌスの人生

アウグスティヌス(354年~430年)は、北アフリカのヌミディア(現在のアルジェリア)で生まれました。彼の母親モニカは敬虔なキリスト教徒でしたが、父親パトリキウスはキリスト教に改宗したのは晩年でした。アウグスティヌスはカルタゴで修辞学を学び、後にローマやミラノで教鞭をとりました。若い頃は放蕩な生活を送っていましたが、32歳の時にキリスト教に改宗し、後にヒッポの司教となりました。彼は多作な著述家で、神学、哲学、倫理学など幅広い分野で重要な著作を残しました。その中でも『告白』は、彼の回心に至るまでの葛藤と内面の探求を描いた自伝的作品として知られています。

古代ローマ帝国末期の社会と文化

アウグスティヌスが生きた時代は、ローマ帝国が衰退し、キリスト教が国教として認められた激動の時代でした。ローマ帝国は広大な領土を支配していましたが、政治的な混乱や経済的な困窮、ゲルマン民族の侵入などにより、その力は徐々に弱まっていました。一方、キリスト教は迫害を受けながらも信者を増やし、313年のミラノ勅令によって公認され、380年にはテオドシウス1世によって国教とされました。アウグスティヌスは、このような時代の変化を背景に、伝統的なローマ文化とキリスト教信仰の間で葛藤しながら、独自の思想を形成していきました。

マニ教

マニ教は、3世紀にペルシャでマニによって創始された宗教です。ゾロアスター教、キリスト教、仏教などの要素を取り入れた独自の教義を持ち、善と悪の二元論を特徴としています。アウグスティヌスは若い頃にマニ教に惹かれ、約9年間信奉していました。マニ教の禁欲的な教えは、彼の肉欲への罪悪感と精神的な探求心に訴えかけるものがありました。しかし、マニ教の教義や宇宙論に疑問を抱くようになり、最終的にはキリスト教に改宗しました。

新プラトン主義

新プラトン主義は、3世紀にプロティノスによって創始された哲学です。プラトンの思想を基盤とし、そこに神秘主義的な要素を取り入れたもので、一者としての神から世界のあらゆるものが流出するという考え方を特徴としています。アウグスティヌスは、ミラノでアンブロシウス司教の説教を聞き、新プラトン主義の著作を読むことで、キリスト教への理解を深めていきました。新プラトン主義は、アウグスティヌスがキリスト教の神を理解し、悪の問題や自由意志の問題を考える上で重要な役割を果たしました。

修辞学

修辞学は、古代ギリシャ・ローマにおいて重要な学問であり、説得力のあるスピーチや文章を作成するための技術を研究するものでした。アウグスティヌスは若い頃に修辞学を学び、カルタゴ、ローマ、ミラノで修辞学の教師として活躍しました。修辞学の教育は、アウグスティヌスの論理的な思考力や表現力を養う上で大きな影響を与えました。彼の著作は、修辞的な技巧に富んでおり、力強い文章で読者を魅了します。

聖書のラテン語訳

アウグスティヌスが用いた聖書は、4世紀後半にヒエロニムスによって翻訳されたラテン語訳(ウルガタ訳)でした。ウルガタ訳は、それまでのラテン語訳よりも原文に忠実であり、その後、西方教会における標準的な聖書として広く用いられるようになりました。アウグスティヌスは、聖書を深く研究し、その解釈を通して神学的な思想を構築しました。彼の聖書解釈は、後世のキリスト教神学に大きな影響を与えました。

初期キリスト教神学

アウグスティヌスが生きた時代は、キリスト教神学が形成されていく重要な時期でした。三位一体論、キリスト論、原罪論など、キリスト教の基本的な教義をめぐって様々な議論が展開されていました。アウグスティヌスは、これらの議論に積極的に参加し、独自の思想を展開しました。彼の神学は、後の西方教会の神学に大きな影響を与え、「教会の博士」と称されています。

これらの背景知識を踏まえることで、『告白』におけるアウグスティヌスの内面の葛藤や思想、そして彼の生きた時代や文化をより深く理解することができます。

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