## アウグスティヌスの告白のメッセージ
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神の恩寵と人間の自由意志
「告白」の中で、アウグスティヌスは自らの罪深い過去から回心し、キリスト教に帰依するまでの道のりを赤裸々に描いています。彼は、人間は自分の力だけでは真の幸福に到達できず、神の恩寵が必要不可欠であると主張します。
アウグスティヌスは、幼少期の盗みや青年期の肉欲に耽った日々を振り返り、それらを神の律法から逸脱した悪と捉えています。彼は、人間の本性の中に罪が深く根付いており、自由意志だけではその罪から逃れられないと論じます。
しかし同時に、アウグスティヌスは人間が完全に自由意志を奪われているわけではないことも強調しています。神は人間に自由意志を与え、それを用いて神に従うか、あるいは背くかを選択する自由を与えていると説きます。
アウグスティヌス自身の回心体験は、神の恩寵の力強い働きかけと、彼自身の自由意志による選択の結果として描かれています。彼は、聖書の言葉やアンブロシウス司教の説教を通して神の呼びかけを感じながらも、迷い、葛藤を繰り返します。最終的に回心を決意したのは、彼自身の自由意志による選択でしたが、その選択を可能にしたのは神の恩寵の働きかけがあったからこそだとアウグスティヌスは述べています。
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時間と永遠
「告白」の中でアウグスティヌスは、時間という概念についても深く考察しています。彼は、時間は神によって創造されたものであり、過去、現在、未来という区分は、人間の心にのみ存在するものであると論じます。
アウグスティヌスは、過去はもはや存在せず、未来はまだ存在しない以上、現実には「現在」のみが存在すると主張します。しかし、「現在」は絶えず過去へと流れ込み、未来から流れ込んでくるため、捉えどころのないものとして描かれます。
彼は、この捉えどころのない「現在」の中に永遠なる神が存在すると説きます。神は時間の外に存在し、過去、現在、未来のすべてを同時に見渡すことができるとアウグスティヌスは考えました。
人間は時間の中に囚われた存在であるが、神と神の言葉の中に永遠を見出すことができるとアウグスティヌスは説いています。
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愛と欲
アウグスティヌスは「告白」の中で、愛と欲という対照的な概念についても考察しています。彼は、人間のあらゆる行動は、突き詰めれば「愛」に基づいていると論じます。
しかし、アウグスティヌスは愛を2つの種類に分類します。一つは、神に向けられるべき「正しい愛」であり、もう一つは、被造物に向けられ、しばしば罪に繋がる「間違った愛」です。
アウグスティヌスは、自身の過去を振り返り、肉欲や名誉欲など、被造物への「間違った愛」に囚われていたことを悔い改めます。彼は、これらの「間違った愛」は、真の幸福をもたらすものではなく、むしろ心を苦しめるものであると主張します。
真の幸福は、永遠不変の神を「正しい愛」によって愛することによってのみ得られるとアウグスティヌスは説いています。彼は、神を愛することによって、初めて心の平安と秩序がもたらされると信じていました。
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