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アウグスティヌスの告白と言語

## アウグスティヌスの告白と言語

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言語と自己認識

アウグスティヌスは『告白』の中で、幼少期の言語習得過程を振り返りつつ、言語と自己認識の複雑な関係について考察しています。彼は、言葉が他者とのコミュニケーションの手段であると同時に、自らの内面を探求するためのツールでもあることを認識していました。
幼児期、アウグスティヌスは周囲の人々が発する音と、その音が指し示す物事との関連性を徐々に理解していきます。彼は言葉を通じて欲求を表現し、周囲の世界と関わりを持つことを学びました。しかし同時に、言葉は彼自身の内面にも影響を与え始めます。言葉を用いることによって、彼は自身の感情や思考を客観的に捉え、自己を意識するようになります。

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言語の限界と超越

アウグスティヌスは、言語の持つ可能性を高く評価する一方で、その限界についても深く考察しています。彼は、人間の経験、特に宗教的な体験を表現するには、言語は本質的に不完全であると感じていました。
例えば、神という超越的な存在を言語で表現しようと試みることは、有限である人間が無限なるものを捉えようとするようなものであり、必ず限界にぶつかると彼は考えました。また、『告白』の中で繰り返し語られる、時間や永遠といった概念も、人間の言語では十分に表現しきれないものとして描かれています。

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言語と神の言葉

『告白』において、アウグスティヌスは人間の用いる言語と神の言葉との関係についても論じています。彼は、聖書を解釈する際に、言語の多義性や比喩表現に着目することの重要性を説いています。
神の言葉は、人間の理解力を超えた深遠な意味を含んでいるため、文字通りの解釈に留まっていては真の意味に到達することはできません。アウグスティヌスは、聖書の言葉を注意深く読み解き、隠喩や象徴を読み解くことによって、神の言葉を理解しようと努めました。

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